電車での座り方と権利
2008年 03月 17日
このところ,野口体操には行ったり,行かなかったり。
でも,先生からは,「動きの質がかわってきたね。」といってもらった。
なんとなく,気持が変わったことと,からだが変わったことが
つながってみえる。
ずっと,「あるカタチになるようにうまくやる」ことを,あたまから
追い払えないできた。
逆立ちが「できるか・できないか」が,実はプレッシャーだった。
でも,やっと変わってきた。
できなければ,休んでいようとか,できなくてもいいやとか,
悔し紛れではなく感じられる。
あとは,続けることがのたのしいという感覚を見つけること。
ここのところ,原発のこと,とくに「もんじゅ」のことだったり,
温暖化と二酸化炭素の結びつきのことなど,気になっている。
でも今回は,雑誌『湧』からおもしろかった部分をご紹介。
権利という考え方についての話だ。
話し手は溝口雄三さん。歴史学者。
今,日本で権利といったら,ヨーロッパ経由・アメリカ経由の,
人権思想が根本になって語られる。
中国に「人権」という考え方はあるかというのは,ずいぶん前から
話題にはなってきていた。
中国の大学教授も,人権思想は中国もヨーロッパも関係なく,
皆同じといっている人もいる。
溝口さんは,中国の相互扶助の考え方を土台とした権利観を,
こういう。
>ある乗客が始発駅から終点まで四人掛けのボックスシートの
>指定券を買ったとします。その場合,そのボックスシートを占有
>しつづけるのはその人の権利です。
>もう一つの権利のあり方は,細長い座席が両側に並んでいる
>普通の車両の場合です。ある人が始発駅から乗りました。最初は
>ほかに誰も乗っていないので,座席に寝転がって新聞を読んで
>いました。駅に着くたびに客が乗ってきて,そのうち寝そべるのはやめて
>座って新聞を読むことにします。さらに,客が増えて,隙間を詰めて
>座るようになり,新聞も小さくたたんで読むようになります。老人や妊婦
>が乗ってきたので,席を立って譲ることにします。どんどん混んできて
>ぎゅうぎゅう詰めになったら,新聞どころではありません。まわりの
>人に押されたり押し返したりしながらも自分の空間を確保する,
>というように,始発駅から終点に近づく間に,一人の占有空間が
>変わってきます。つまり,権利の内容が変わるのです。
>つまり,後者の普通座席の例は,権利とは他者との関係の間で,
>相互に主張し合い妥協し合うところから生まれてくるものだという
>考え方です。
権利の幅というか大きさというか,これが変わるのだ,
という考え方は,新鮮だった。
この電車の座り方は自然にそうなることだけれど,考えてみれば
ずいぶん違う。
二酸化炭素の排出量のことも,社会保障のことも,「自然権」の考え方
だけでは,どうもなじまないところがある気がしていた。
まぁ,ぱっと読んでおもしろかったというのが今のところのわたしの
思いでしかないけれど,もうちょっと権利については考えてみたい。
でも,先生からは,「動きの質がかわってきたね。」といってもらった。
なんとなく,気持が変わったことと,からだが変わったことが
つながってみえる。
ずっと,「あるカタチになるようにうまくやる」ことを,あたまから
追い払えないできた。
逆立ちが「できるか・できないか」が,実はプレッシャーだった。
でも,やっと変わってきた。
できなければ,休んでいようとか,できなくてもいいやとか,
悔し紛れではなく感じられる。
あとは,続けることがのたのしいという感覚を見つけること。
ここのところ,原発のこと,とくに「もんじゅ」のことだったり,
温暖化と二酸化炭素の結びつきのことなど,気になっている。
でも今回は,雑誌『湧』からおもしろかった部分をご紹介。
権利という考え方についての話だ。
話し手は溝口雄三さん。歴史学者。
今,日本で権利といったら,ヨーロッパ経由・アメリカ経由の,
人権思想が根本になって語られる。
中国に「人権」という考え方はあるかというのは,ずいぶん前から
話題にはなってきていた。
中国の大学教授も,人権思想は中国もヨーロッパも関係なく,
皆同じといっている人もいる。
溝口さんは,中国の相互扶助の考え方を土台とした権利観を,
こういう。
>ある乗客が始発駅から終点まで四人掛けのボックスシートの
>指定券を買ったとします。その場合,そのボックスシートを占有
>しつづけるのはその人の権利です。
>もう一つの権利のあり方は,細長い座席が両側に並んでいる
>普通の車両の場合です。ある人が始発駅から乗りました。最初は
>ほかに誰も乗っていないので,座席に寝転がって新聞を読んで
>いました。駅に着くたびに客が乗ってきて,そのうち寝そべるのはやめて
>座って新聞を読むことにします。さらに,客が増えて,隙間を詰めて
>座るようになり,新聞も小さくたたんで読むようになります。老人や妊婦
>が乗ってきたので,席を立って譲ることにします。どんどん混んできて
>ぎゅうぎゅう詰めになったら,新聞どころではありません。まわりの
>人に押されたり押し返したりしながらも自分の空間を確保する,
>というように,始発駅から終点に近づく間に,一人の占有空間が
>変わってきます。つまり,権利の内容が変わるのです。
>つまり,後者の普通座席の例は,権利とは他者との関係の間で,
>相互に主張し合い妥協し合うところから生まれてくるものだという
>考え方です。
権利の幅というか大きさというか,これが変わるのだ,
という考え方は,新鮮だった。
この電車の座り方は自然にそうなることだけれど,考えてみれば
ずいぶん違う。
二酸化炭素の排出量のことも,社会保障のことも,「自然権」の考え方
だけでは,どうもなじまないところがある気がしていた。
まぁ,ぱっと読んでおもしろかったというのが今のところのわたしの
思いでしかないけれど,もうちょっと権利については考えてみたい。
by KATEK
| 2008-03-17 18:13