日常って、微妙な差異こそ大事かなと思います。


by KATEK
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どつぼにはまった,トッピンシャン。

相方,出張中。
にもかかわらず,昨日も今日も炊事をしてしまった。
だしをきちんととったお味噌汁のほか,野菜たっぷりの夕飯。
なんて偉いんでしょ。
(ちっとも偉くなんかない!?)

でも,「おいしい」という感覚を大事にできるのは,すごいことなんだ!
と思うのね。

昨日見ていた番組で,若者の貧困をテーマに,憎しみにがんじがらめに
されてしまっている少年の話を聞いた。
彼は,里子に出されてから,ある日突然寝るところも,食べるものも
すべてをなくしてしまう。
それから,だんだん心がすさんでいった。
今も人を信じられないらしい。

彼が言ったことばで,とっても頭に残ったもの。
「きれいな花が咲いていたりすると,なぜ勝手にきれいに咲いてんだよ。
って感じになって,腹が立ってくる」

きれいに咲く花を見て怒りがこみ上げるという事実があることは,
記憶に残しておきたい。
花にまで嫉妬するってことなんだから・・・
この怒りをどうやって解いていけるのか,考えたいし。

ゲストの人は,僕も同じような感じのときを過ごしたといい,
こう付け加えた。
「おしいものをおいしいと感じることや,きれいなものを見てきれいと
思えるようになってきたら,もう先が開けてきているってこと
なんじゃないかな」
このことばも,ずっしりきた。
そうなんだ・・・

それにしても,怒りを抑えられない少年は,怒りは抑えなくてはならない
ものと思い込んでしまっている。
これはきつい。
自分の感情を否定することなのだから。
怒りの矛先を変えていくトレーニングができる環境を整備していくのは
大人の責任なのに。



ところで,今,どつぼにはまっている。
実は「あな」。
「バケツのあな」という連弾のピアノ曲。
もちろんちいちゃな子でも簡単に弾ける程度。

それなのに,ここで1ヶ月つまずいていて,あなからでられない。
よくもまぁ「バケツのあな」といったもんだ。

ミドソ ラドソ ラドソ ラドレ
ミドソ ラドソ ラドシ ドー

なんてメロディで始まるんだけど,指の運びを間違えてばかりで,
(もちろん右も左も指使いは同じ程度。低レベル)
連弾してもらうと,間違いがほとんどになってきて,めちゃくちゃ。

先生は,
「これだけはっきり間違えるってことは,ここがまさに弱点だって
ことがわかるってことだから,よかったねぇ。」
といってくれる。
間違いに付き合ってもらって,なんとありがたい言葉。

「あぁ,ここは苦手だ」と思えば思うほど,あなは深くなる。
先生いわく
「わかりやすい弾き方だよね。自信のないところの音は消えそうな
小さな音になってるよ。」
わたしは
「ピアノは心を映す鏡だね。」と応えた。

レッスンのなかで学ぶことはそれだけではない。
どこでやめるかが,なかなか考えさせられる。

わたしだったら,勉強の途中でわからないからといってやめることは
許せない気持ちになってしまい,疲れるのをお構いなく続けてしまう。

でも,ピアノは「今日はここまで」と,できなくても区切りをつける。
この区切り方がなぜだか,いい感じなのだ。
なぜいい感じなのか,どういい感じなのかをことばにできたら,
授業にも応用できそうなんだけどなぁ。

ともかくいろんな面で学びの多いピアノレッスンなのだ。
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by KATEK | 2008-02-26 19:15