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日常って、微妙な差異こそ大事かなと思います。


by KATEK
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愛がほしい,みんなそうだよね。

外はぽかぽかあったかい。
サッシの向こうに見えるビオラが,風をうけてピラピラ。
どうやら株も大きくなってきたので,この土と場所が
気に入ったらしい。よかったよ。ビオラさん。
ヒヤシンスも咲くまであと少しだ。

自分のために生きるってこと。
人のためにと思っていても,それは自分にとって心地いいことを
求めた結果だってこと。
そんなこともしっかり頭に入れて,自分中心の世界を
いきなきゃって思う。
それは案外難しい。

赤ちゃんの自己中心的な世界っていうのは,
ほんとに周りが見えていないし,見えない世界だ。
無償の愛を求めてもなんらは恥ずかしいこともない。

でも大人になって,無償の愛を求めることと,誰かに無償の愛を
あげることって,なんだか余計なものがくっついてきてしまう。
無償の愛に包まれているのに,それに気づかないでいるわたし。
なんてもったいなく,回り道をしているんだろう。

そして,有償の愛をあげているのに,無償のつもりにならなきゃって
がまんして,気持ちをこじらせてしまっているわたし。

無償の愛なんて誰にでも配れるものじゃない。

なんて,よくわからないひとりごと。

今日はまた,山田ズーニーさんの新しい本から,ご紹介です。

>若い人に伝えなくてはいけないのは,体中が熱く,気持ちが
>昂揚する「歓びの一瞬」のことではなく。

>自分の無意味感から逃れつつ,
>空気圧にじっと耐えて,
>昨日と同じ今日を,また,同じ凡庸な朝を生きる覚悟,
>それをうんざりしても,毎日繰り返し続けていることこそが,
>「生きる実感」である。

>ということではないだろうか?

そしてこれは,わたしに

>「自虐おわび」のように,自分を「裁く」ひとは,他人も裁く,
>裁いて「責める」人は,自分も他人もやっぱり責める。
>しかし,「裁く,責める」ではことは解決しないから悩むのだ。
>・・・・・
>「おわび」という暴力。


      山田ズーニー『理解という名の愛がほしい』河出書房新書
by KATEK | 2006-03-11 13:52