日常って、微妙な差異こそ大事かなと思います。


by KATEK
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

卒業式は嫌い。大嫌い!

卒業式の季節。
担任経験の少ない私は、毎年複雑な気持ちになる。
堂々とした、うれしそうな担任と生徒の顔。
恨みや嫉妬の声が頭の中ではしりまわってしまうわたしは
素直に卒業式を祝えない。

担任をして、卒業させて、経験を積んでいくのだとしたら、
わたしの20数年はほとんどからっぽ。
最初の担任でつまずいてから、担任としての笑顔は失った。

考えても仕方のないことなのに、毎年毎年、20代・30代の
自分は暗黒時代でしかなかったと、勝手に傷つく。

40代になって初めて、もう一度教員としてやっていこうと思った、
50代間近ででそれをもう一度確認したはずなのに
その気持ちも今また揺らいでいる。
元気づけてくれた生徒たちは一気に卒業していった。

「月三万円で生きる」だったかな?
月3万円の仕事を複数持って、それで生きていくっていう本を
読んだ。
ちょっといい。
ただ田舎で稼ぐというのが彼の提案なので、方法やテーマは
ほとんど役に立たないけれど。

4月からの授業内容を考えつつ、ふっと「夢」にはしる。
[PR]
# by KATEk | 2012-03-04 12:56
前から手が痛い手が痛いといってきた。
そしてようやく「手外科」なる整形外科に行って
診断を受けた。

あっさり,「リウマチではありませんね。」といわれ,
レントゲンを撮ってみて親指の付け根の関節が,
亜脱臼しかかっているといわれた。
つまり,老化と使いすぎだそうだ。

親指をこれ以上使いすぎると,脱臼することになるので
手を使う特は,やわらかいプラスティックで作る
手に合わせて型を取ったものをいつも装着してください,
とのこと。
もちろん手を動かさないときはつけなくていいのだが。

親指の付け根が痛いというのを理解してくれた医者は
はじめてなので納得はしたけれど,動かすなって
言われてもねぇ・・・

型を取るための採寸にいって
次の週にできあがるそうだ。
まぁやってみるしかない。
痛み取れるといいな。

たぶん気持ちの一部分ははれるだろうから。

今日の読書は
『最底辺のポートフォリオ』
世界の中で絶対的貧困という枠に入る人たちの
お金の使い方を調べたもの。
期待多し。
[PR]
# by KATEk | 2012-02-24 20:43
ともかく、イヤーな感じがとれなくて、だらだら起きている。
職場の机の近くにいる同僚からの、イヤーな信号を
毎日浴びているから。
そんなに文句言いたいなら、うけてたつわよ!と
叫びたいところ、そんな元気もない。

2週間ほど前、髪を全部まるまる脱色した。
金髪!
それで帰宅したら相方と無言のけんか。
翌日(日曜日)紫色に染め直す。

このむしゃくしゃした感じは金髪でも足りないんだけど・・・

でもこの件を生徒に話すとみんなにこにこ聞いてくれる。
それだけが成果、かな?
[PR]
# by KATEk | 2012-02-23 00:41
久しぶりの投稿。

朝から晴れて,気分は上々だ。
鬱々とした日が続いていたが,やっとトンネルから
出てきた気分。

授業中生徒たちはうるさい。
おしゃべりばっかりしている。
それをまた注意するのも,効果は薄いし気分も悪くなる。

そこで登場したのが トーキングスティック なるもの。

『ワークショップ』という本に紹介されていたのを
まねしてみyた。

ネイティブアメリカン(インディアン)のある部族の人たちが
話し合いのときにトーキングスティックを使うという。

円座に座って円の中心にトーキングスティックをおく。
話をしたい人がそれを手に持ち話す。
トーキングスティックをもっていない人は,静かに
話をしている人の声に集中しなくてはならない。
誰でもが好きなだけ話し,他の人は話している人の
声に集中することで,誰でもが話せる権利を守るのだ。


私の場合,近くの公園で落ちている枝を捜し,桜らしき枝を
調達した。
節を削ってあぶなくないようにして,できあがり。

教室に持って行ったときに,話すことと,聞くことの大事さを
ネイティブアメリカンの人たちの話し合いの仕方といっしょに
説明してから,毎回授業に持っていっている。

授業の中で話すことばはなかなか覚えないのに,
トーキングスティックということばは,
なぜかよく覚えてしまったらしい。
忘れると,「その棒なんていうんだっけ?」と聞くほど。

授業中もったまま話すこともあれば,うるさいと棒を
車のワイパーみたいに動かしてみたりする。
その棒で,うるさい子の机をたたいてみたりもする。

なぜかうるさいと怒鳴るより,ずっと静かになる。
不思議!

昨日は教えていないクラスの自習監督に行ったら,
「トーキングスティックはないの?」といわれて驚いた。
知らないはずの子がなぜか知っている・・・・

生徒たちには「泣かされる」ことのほうが多いが,
こんなおもしろいこともおこるから,仕事をする元気が
わいてくるわけだ。

と,近況報告でした。
[PR]
# by KATEk | 2012-02-18 07:32

近況報告

少しづつ陽が伸びてきて、うれしいかぎり。
これから私の調子もだんだん上向きになってくれそうな
予感。

なんだか近頃パソコンが嫌いになってきて、あんまり
触りたくない日が多かった。
(仕事ではしかたがないから触るけれど)

このブログもわたしの生活・仕事もリセットしたくなって、
だらだらしていた。

今は、発達障害の勉強中。
生徒とのやりとりを考えてのこと。

わたしこそ言葉につまずきがあって、教員との話がスムーズに
いかない。
話をしたくない日が増える。
でもそれでもいい。
話したくなければ話さなくても。
事務連絡ばかりでもいい。

静かにくらそう。
[PR]
# by KATEk | 2012-01-29 19:01

場面緘黙から離陸。

場面緘黙。
まだ気持ちの上で引きずっている。
ひきずってもしかたがないことは承知しているけれど、
自分の<傷つきやすさ>の根っこがこんなところにあって、
しかも遺伝的なものである可能性が高い、
つまりDNAに書き込まれている脆弱性というわけで、
ここから逃れることは難しいとなると、冷静になれない。

小さなころに治療しておく必要があるといわれても、
もう過ぎてしまったことだし、たぶん多くの大人たちが
同じ問題を抱えているに違いないと思うと、歯がゆくもある。

わたしが生きていくには、一定のリズムで一人の静かな時間を
もつことが大事なこと。
そして気のゆくまま眠ること。

このせわしい世の中で働きながら、静かな時間を持つのは
難しい。

でもなんでも「難しい」と思いすぎているのかも。
すこし頭を離陸しよう。
[PR]
# by KATEk | 2012-01-04 22:32

場面かん黙 パート2。

場面かん黙といっても,そういう人を見たことがない方も
大いに違いない。
でも教室にやってくる子を見ていると,何年かに1度という割合で
かん黙の子に会う。
統計上は女子のほうが多いのだが,今までに出会ったのは男子のみ。

場面かん黙の場合は,だいたい家の中では話ができる。
学校とか外に出てしまうと,発話ができなかったり,からだの
動きが緩慢になったり,できないことが多くなってしまう。

そして何より,なぜ声が出ないのか,なぜ学校では話ができないのか
本人にもさっぱりわからず,しかも周りから「変わった子」扱いされる
のが問題なのだ。

わたしは2年間,声を出せず,絵や工作ができず,運動ができず
だから遊ぶことができずにいた。
休み時間になると,いつも木に寄りかかってぼーっと周りの子が
遊ぶのを見ていた。
休み時間は苦痛だった。ここにいていいのかっていう感じが
していたから。

この場にいていいのかという不安は,20歳代いっぱい続いていた。
外でトイレに行けないのは小学校5年まで。
初めて学校のトイレにいった5年生のときのことは,よく覚えている。
運動会の予行練習の日だったと思う。
恥ずかしいのと達成感とで複雑な気分がした。
でも,まわりの友達にトイレに行けないことを知られないように
していたから,顔つきはいつものまま。

小学校中学年になっても図工の時間,作品が作れない不安で,
いつも学校で作る前に母親に作ってもらってもっていっていた。
情けないがしかたがなかった。
担任も何も言わなかった。

場面かん黙の場合の不安は,普通の人が感じる不安と程度が
ちがうらしい。
緊張でのどの筋肉がかたまり声が出なくなる。
なぜ,何に緊張し不安を持つのか,原因は不明。

今,私自身の中で問題になっている学校での対人関係について,
カウンセラーいわく,
「感じている以上に大きな打撃を受けていると思いますよ。」と。

だからからだが反応してしまうわけだ。
もうだめってなってしまう。
考えてみれば些細なことなのに,わたしの脆弱性がそれを
受け入れられないということだ。

場面かん黙の子どもは少なからずいる。
でも日本では情報があまりない。
研究もあまりされていない。
後遺症が残らないように,学校自体がもっと体制を整える
必要があるとつくづく思う。

わたしは幸い,母や家族からも担任からも手は打たれず,
黙ったまま放っておかれたので,深刻な2次災害は受けずに
すんだ。
幸いでもないけれど・・・・

ということでした。
[PR]
# by KATEk | 2011-12-23 13:54

場面かん黙でした。

本屋で偶然「場面かん黙」の本を見つけた。

私自身,この「場面かん黙」を幼稚園・小学1年生の
2年間経験していたが,そのときの気持ちや行動の
理由がまったくわからず,時々思い出しては,
腑に落ちない感じを持ち続けていた。

本を読んだら,わかる・わかる!
今になってやっと場面かん黙の治療の必要性が
いわれるようになったくらいだから,私の子ども時代に
治療なんて考えられもしなかったのだろう。
わたしは勝手に治ってしまった。

と,思っていたがそうは問屋がおろさず。
今になっても当てはまる後遺症があるのだ。

学校にいる間はまったく話しもせず,遊びもせず,
体育の授業にも参加せず,絵も描かず,泣いてばかりいた
小学1年生のあの頃。

小さい頃からなにしろ「おとなしく」一人で遊んでいた。
母親は舅・姑の前,わたしと遊ぶことなど一切しなかったし,
話さえしなかった。
母が最後にお風呂に入る時間になって,やっとわたしを
一緒にお風呂に入れてトーキングタイム。
でも,じっさいには母の愚痴を聞く時間になっていて,
母がかわいそうだから何とかしてあげたいと思いを
強めることになっただけ。
母になついていたが,母からの
「何事も我慢が大事」という話に,今思えばわたしは
どんどん縮こまっていった。

表現することをがまんすること,
そればかりが身について,表現していいのは
「正義」を行うときだけという枷がはめられてしまったようだ。
なにしろ「弱い人を助けなさい」とずいぶん言われたから。

というわけで,いくらマッサージに行っても,
なにをしてもからだがほぐれず頭痛が続く毎日というのが
当たり前の結果だとわかったわけだ。

これって愚痴か知らん。
でも,
いまさらながら,誰かに助けてもらわないとだめみたいな
気になってきた。

カウンセラーには
「よくここまでやってきましたねぇ。」とため息交じりで言われた。
「がんばってますよ。本当に。」とも。

もうがんばるのやめたいなぁ・・・
[PR]
# by KATEk | 2011-12-22 22:52

うーん。そうですねぇ。

昨日は,女性の使うことばに命令形は不向きと書いた。
stlさんのコメントを読ませたいただいて,
わたしのくくりかたは大雑把な気がしてきた。
そこで再考。

昔,好きで(感動して),なんども生徒に紹介した詩がある。
(もちろん今も好き。でも生徒には古くなってしまった)

アパルトヘイトの時代に,南アの女性の詩人が書いたもの。
「違うと言おう」というもの。
白人に偏見を持ったことばを投げかけられたら,
違うといおうという趣旨の短いフレーズが続く。
(手元に詩集がないので紹介できないのが残念)

NO!ということばは強い。

映画「スタンドアップ」でも炭鉱で働くことになった女性の主人公は
いろいろな場面でNOをつきつける。

茨木さんの詩にも強い言葉がでてくる。
自分の感性を自分で保つことができないものに対して,
ばかものめ,と言い切る。

英語圏では強いことばを使いやすいのかもしれないし,
文字にすると日本語もまた強いことばが使いやすいのかも
知れない。

それに「静かにしろ!」ではなくて「静かに!」とか「静かになさい!」
とか,日常口にすることばで強い感情を表すことはできるのだ。

ただ,男性と違って,ふいにことばを発したときに命令形の強い
ことばは,わたしにはなかなか出てこない。
せいぜい「うるさい!」と自分の気持ちを言うくらい。
命令形を使うときは,考えてから出ないとたぶん難しい。

生徒いわく
「男の先生はさっぱりおこっておしまいだけれど,女の先生は
ねちねちしつこい」
でもどうしても言葉数で説き伏せることしかない場合が増えるのは確か。
そこに権威を見せようとすると生徒にとっては,もうアウトだ。
わたしすら職員室での女性の先生の説教にはうんざりするくらいだ。

女性って不利だよなぁ,なんてつい思ってしまう。
でも本当は不利でもなんでもなく,
女性性を大事にした人間関係や言葉遣いを大事にしたい。

昔のわたしならジェンダーフリーの観点から・・・なんて思って
こんなことは言わなかったかもしれないけれど,今は自分が
気負わないでものを言えることのほうを選ぶ。

まぁなにしろことばは難しいものだ。
と,今日はここまで。
[PR]
# by KATEk | 2011-12-15 20:33

女性にとっての命令形。

ある本を見つけようとして本棚をごそごそしていたら,
忘れていた本を見つけた。
ことばに関する本。
(今手元にないので書名は略)

昨日学校で,窓からか顔をだし大きな声で,
生徒に向かって怒鳴っている男性の教員がいた。
あまりに大きな声だったので,若い男の先生は
「迫力あるなぁ。」と感心していたようだった。

わたしはあれ?とおもったのに。
そんな大声を出さなくたっていいだろうにと。

校門から出て行こうとする生徒に,
「どこにいくんだ。でちゃだめだろ。戻れ。早く戻れ。」
と「指導」。

そう,昨日見つけた本の話に戻ると,
女性の使うことばは怒りの表現に向いていないこと。
またしかる・怒鳴ることにも不向き。

まったくだと思う。
男性の教員は,「教室に入れ」から始まって,
全てを命令形で話しても,おそらく生徒には違和感がない。
もしも同じようにぶっきらぼうに女性がそんなことばを
使ったらドウだろう?

教員になって数年の間,わざとそういうことばを使ったことがある。
またある程度歳がいった女性の先生で,怒るとそういうことばを
使う人もいる。
でも,すごく無理しているとしか聞こえない。
聞きたくないような声を出しているといってもいい。

自然と命令形のことばに従う生徒のほうが多いし,
わたしのようにlet'sの言い方しかしないと,なかなか静かにならないし
また私が注意していることに気づかないことすらある。

この差をどう考えていいのだろう?

わたしは淡々として静かな教員が理想。
でもそういう理想を捨てなければならないといわれる。
そうなのかなぁ・・・

静けさがわたしには大事だ。
無理だとしても。
[PR]
# by KATEK | 2011-12-14 20:02