日常って、微妙な差異こそ大事かなと思います。


by KATEK
カレンダー

<   2007年 12月 ( 18 )   > この月の画像一覧

あっという間に,今年も終わり。
早かったです。
本当に。

いつものように気のきいたことばは,探してこられませんでしたが,
ともかく,みなさんのコメントに励まされた一年でした。
ありがとうございます。

来年こそ,仕事の場で新しい展開ができるように,
いっそうからだと気持ちに正直になりたいと思っています。

みなさんも,良い年をお迎えください。

できることなら,これ以上社会の不安が高まらないような
そんな力のはしっこにいられたらと思います。
命をベースに考えていけるように・・・

来年もよろしくお願いします。
[PR]
by KATEK | 2007-12-31 19:13

69円のCDが大当たり!

相方が69円で,落札してくれたCD。
ビーアという女性ヴォーカルの歌。
これがなかなかいい。
日本語では「泉」というタイトルがつけれれている。

ボサノヴァ,レゲェ,シャンソンなどいろいろな要素がまじった歌。
12曲あるのだけれど,それを5カ国語で歌っている。
わたしには太陽がいっぱい感じられる曲が多くって,くりかえし
きくCDになりそうだ。

それにしても,師走。
ここに移り住んでおよそ十数年,
一番からだがしんどかった時期に引越ししてきたので,
(自分では,そういうことすら意識できてこなかったのだ!)
師走にそれなりの掃除ができた初めての年になる。

トイレ,玄関,台所,お風呂場,そして部屋,
全部少しづつきれいになりつつあるのが,感動的。

ここ数年は生花は世話できないからといって,造花で我慢していた
のだけれど,今年は玄関に生花を飾れた。
お正月用の花ではなく,気に入った花を花瓶にいけて。
オレンジ色の花や葉が基調。
それだけでとってもうれしい。

ところで,今年のことばとかいうことで,「偽」ということばが,
ニュースでとりあげられた。

私たちって,ほんとに忘れやすい,あるいはそうさせられている。
偽装の問題ばかりが,締めくくりのニュースになっているけれど,
今年は教育基本法だって改正されてしまったし,自衛隊や
アメリカ軍基地の内容だってずいぶん変わってきてしまったこと,
こんな大事なこと忘れていないか・・・

ワーキングプアーってことばだって流行ったのに,
それに加えて年金問題がでてきているのに,セイフティネットの
話なんかどうなっているのっていいたくなる。

先日,多田富雄さんの『リハビリ闘争』という本を読んだばっかり。
老人医療の制度も変わったし,リハビリにかかる医療も,ずいぶんと
後退させられてしまったことがわかる。

少子化とか,団塊の世代の定年なんて,ずっと前からわかっていた
ことなのに,何の手を打ってこなかった政府・与党の問題は
追求されないのかと,夕飯の時に相方と話した。

老人からまず自助努力させて,切り捨てていくというやりかた,
あまりにひどすぎる。
まるで実験。
もっと怒っていいことだと思う。

またまた話題は変わってしまうけれど,NHKで放送している
「みんなの歌」。
珍しくきいたけれど,走るのが遅くてうかない小学生に,
「傷を負うほど君は強くなる」なんてメッセージの歌だった。
ひぇー。

この歳になってきて初めてわかってきたことだけれど,
小さい頃おった傷は,ちゃんとどこかで治しておかないと,
(誰かがどこかで傷の世話をしてあげていないと)その人の
人生つらくなるってこと。
傷を負わなくていいのなら,そのほうがいいのだ。
無責任な大人の判断で子どもを突き落とさないように,
そう思う。
優しくされた人が,優しさを返してあげられるのだから。

わたしは来年も,私に優しくしてあげるつもり。
[PR]
by KATEK | 2007-12-28 21:23

メモ。

ふと,感じた。

毎日同じことの繰り返しを,日常という。
日常というものは退屈なものかどうか・・・

毎日同じだといっても,からだの細胞は死んでいき,また
再生するもの。
微妙に違う今日と明日のわたしのからだ。
当然気持ちも。

同じことを繰り返すことで積みあがっていくものも大事だし,
ちょっとづつ変わっていくこともまた楽しい。
同じような明日があるって,希望をもっていられることのありがたさ。
少なくても,明日死ぬ確率は低いこの状況。

ありがたい,と思えるうれしさ。
夕日は落ちても,明日があるって感じられるありがたさ。

と,なんだかつまらないメモでした。
[PR]
by KATEK | 2007-12-26 16:36

共感できないかも。

晴れた。
こんな日は,朝からなんだかいい調子。
窓を開けると冷たい空気が入り込んでくる。
しっとりした朝の。

からだがしんどかったり,
たとえば,とっても眠かったり,からだを動かす元気がなかったり,
いろんな意味でのエネルギーが足りなかったり,

そんな時は,社会のことなんて気にしていられないんだ・・・
そんなあたりまえのことが,今頃わかる。

胃が痛ければ,胃が
頭が痛ければ,頭が
ここだ,ここだと主張してくる。
だからそこのことしか感じられなくなって,あとのことはどうでもいいや,
そんな気がしてくる。

まして,10代の若さであったら,友人の関係や付き合っている人のことで,
頭がいっぱいになったりしてもおかしくない。

そんな時,社会の勉強をする?

知りたい気持ちや,大人になりたい気持ち,責任や共感がないところには,
社会の勉強なんてありえないんだろうな。
つなぎ役がなければ。

自分の抱えている問題が,壁のように大きくて,感情がそこに
とどまってしまったら,そこに穴をあけるしかない。

生徒が人間としてわたしのことを感じてくれたら,
いっしょに考えてもいいかなと思ってくれたら,
そこから社会の勉強がはじめて始まる。
それには,しんどさを共にすることか・・・

でも,がんばれがんばれとは言えないなぁ。
『五体不満足』を書いたおとたけさんは,結局小学校の先生になった。
彼はこういっている。
「ぼくでもできる。ぼくもがんばっているってことを感じてほしい」
だから,プールにも入ったそうだ。

わたしだったら,きっとあんなにできないやって感じてしまうだろう。
なんでそんなに元気なの?って。

元気がないところで寄り添える社会科,学校がありえるか。
そこがわたしの立ち位置かな。
[PR]
by KATEK | 2007-12-26 08:21

久々に更新しました。

世の中クリスマスということで,にぎやかだ。
でもなんだか忙しいクリスマス。
イベントをこなしていくような。
我が家は,いつもと変わりのない連休をおくっている。

今日は朝のうち雨で寒かったけれど,午後はパッと晴れて,
いい気持ち。
やっぱり晴れの日が好きだ。
でも,雨の日があるから,晴れの日もあるわけで,そんな
日本の暮らしがいいってことかな。

ここのところ,私の奥深いところから,「パソコンはしまってしまえ」
そんなメッセージが送られてきている。
どこからどこへ?

きっと古代からつながっている命,古い脳とかからだの細胞とか,
そんなものが,脳の前頭葉新皮質の部分に。

居間にあるこたつの上には,今までずっと私のノートパソコンが
でたまま,ここ数年過ごしてきた。
それが目に付くようになってきた。
そして何日か前にしまいこんでしまった。

使うときにだけ,コンセントにつないで使う。
これが今の気持ちにあっている。
わたしって,パソコン嫌いでずーっと使わなかったってこと,
そんな歴史を忘れかけていた。
苦手なことには変わりがないけれど。

からだによく話しかけるようにもなってきた。
「頭の左後ろが痛いんだね。」
「それから首筋,背中の右下のところが痛いんだ。」
「どんな痛みかなぁ。」
「あれ,考えていたら痛みかたが違ってくるぞ。」
「肩をこうして動かすと・・・。ここがつながるか。・・・」
「今は脳が疲れているけれど,音楽ならちょうどいいかも。」
などなど。

気持ちや状態の確認は今の私にとっては,必要なことなのかも,
そう思う。

今の私といえば,集英社新書
『越境の時 1960年代と在日』(鈴木道彦)がおもしろくて・・・

カンサンジュンさんのファンになってしまった知人から
借りてきた本。

この鈴木さんという人とは初めての出会い。
(もちろん文章上のこと)
プルーストの『失われた時を求めて』を訳した人とのこと。
プルーストなんて読んだことがないけれど,気になる本ではある。
その鈴木さんの書いたもの。

小松川事件(1958年)のことは,ただの出来事として,
知っていた。
でも,何も知らなかったことが,この本でわかった。
殺人事件を起こした李珍宇という当時18歳の,「在日」だった彼の
ことは,何も知らなかった。

死刑を待つなかで書かれた書簡に,こんなことも書かれている。
>「私は人を殺したことについて何も感じませんでした。・・・また
>殺すかもしれない。何の感動もないのです。無感動なこの
>本性に対してたまらない憎しみを感じています。

今の多くの事件の無感動とは違う何か。

金嬉老事件のことは,もう少しは知っていたけれど,
これも知っていたとはいえない。

ビートたけしが主人公になってドラマにもなったことがある。
でも,キムヒロの立てこもりの時に,周りでどんな動きがあったのか,
それも初めて読んだことばかり。
高史明(コサミョン)のことももっと知りたくなった。

今は在日ということばも,ずいぶん受け止められ方が違って
きているのだろうけれど,「在日」の歴史にはもっと深く感じたり,
知ったりすることが,わたしには必要かな,と思う。

行き当たりばったりの文章になってしまった。

1週間に1度くらいは,行き当たりばったり,パソコンと出会うかも。
今後のこと。
[PR]
by KATEK | 2007-12-23 19:26

これから幕間。

脳の疲れなんてことばを知って,思い当たることあり。

脳が疲れると五感が働きにくくなり,まずは食に変化が現れる
ということらしい。
味覚異常になったり,おいしさを感じること,満腹感を感じることが,
できにくくなったりするという。

そういえば,具合の悪くなり始めに,わたしの場合は10数キロやせた。
そして,次は過食による体重増。
やせた時期から計算すればなんと30キロ近く,太ったことになる。

もうずいぶんよくなってきたんだから,からだもどうにかしなくちゃと
いう思いが募ってきて,またまた食中枢がおかしくなってきた。

「してはいけない。」「しなくてはならない」という自分のなかの
命令がきつくなってくると,頭が疲れてしまうんだそうだ。

つい最近の野口体操でも,先生から
「あなたの場合いらないのは知識。知識がじゃましてるよね。」
といわれてしまった。

なんだか近頃,考えなきゃという気持ちが強くなってきて,
反対に頭がまとまらなくなるのを強く感じている。

もう当分考えるのやめようっと。
自分の感覚や思考を文章にするのもお休み。
気分のいいときだけ,ブログを更新しようっと。

というわけで,これから今まで以上にお休みします。
皆さんのところにうかがえる時は,おじゃましますので
よろしくお願いします。

少なくても,食事のあとに後悔が残るような食べ方が
おさまってくるまで,ちょいと思考停止。
快楽追求に徹します。

この徹するのもよくないので,楽しくなるのを待ちます,
くらいにしておこうかな。

しばしの間,「工事中」ってことで・・・
[PR]
by KATEK | 2007-12-18 22:05
お月様がきれい。
冬だというのに,そんなに冷え込まない夜。
外に食べにでるのも,おっくうにならない。

うどん屋さんで夕食を食べてきた。
そこはうどん屋さんといっても,和風の食事なんでもあり,
というようなところなので,いつもいろいろサイドメニューを
楽しんでいる。

今,旬の牡蠣。
おいしいカキフライを食べながら,
「仙台に食べに行きたいねぇ。仙台って街はいいものね。」
とわたしがいったら,相方はこういう返事。
「今仙台も寂れてきて,街中は全国どこにでもあるような
お店ばっかりになってきたみたいだよ。」と。

盛岡とか仙台や松本の中心街は,おしゃれな喫茶店とか,
とっても安いものを売っているお店とか,おいしい果物屋さんとか,
そんなのがいっぱいあって,大好きな街のひとつだった。
でも,ほんとうにここ7・8年でずいぶん様子が違ってきてしまったと
確かに感じる。

そういえば,最近は廃村になるとか,街が寂れるとか,
そんなニュースが増えてきた。

東京の多摩ニュータウンも,そのひとつだ。

でも,同じような世代の
(年収が同じくらいのといってもいいし,家族構成が同じようなともいえる)
人たちがわっと入ってきたのだから,
その年代の人たちが一斉に老人になっていくということは予想できた
ことで,いまさらなに?と思わないでもない。

地方都市に仕事がなくなり,人が住めなくなってきたということも,
ずいぶん前から兆候はあったように思う。
だから,何とかしようと思えば,住みやすい街につくりかえることも
できなくはないのでは?

太郎次郎エディタスというところからでている
横川和夫さんの書いたルポ『その手は命づな』を数日で読んだ。
副題は「ひとりでやらない介護,ひとりでいい老後」だ。

「まごころヘルプ」というNPOのたちあげから先を,ずっと
追いかけたルポ。

(横川さんのルポは視線が優しくてなかなかいい。
 統合失調症の人たちが集まって生活している「べテルの家」の
 取材から書かれた『降りていく生きかた』もおすすめ。)

この「まごころヘルプ」というのを作って発展させていった様子を
みると,必要性から生まれ出るものは強いということがわかる。

新潟という決して経済的に恵まれた土地ではない場所に,
しっかりした組織をつくりあげてきたという事実は,
読んでいるだけで希望がわいてくるものだ。

目次を見ているだけでも,そうだ!と思う。

>だれも生きることをあきらめてはいない

>病院は生活の場ではないのです

>壊れても不自由でも私の人生

>人間関係をいかにつくれるかが生命線

>がんばりすぎては憎しみになる

>ある日,義母の急須にカビが

>私はどんな人から手助けを受けたくないか

などなど。

このNPOをつくった河田さんの視線,プロ意識はすごい。

脳卒中で片側のからだが使えなくなってしまった人が,
サービスを受けて食事をするときに,よくあるパターンは,
先われスプーンを使わせるというもの。

でも,河田さんは,その人といっしょに左手でうどんを食べた。
「うどんは,はしでたべたほうがおいしいよ。」といって。
「いっしょにやってみましょうよ,とことばには出さずに。

介護する側の視線ではなく,普通に暮らせることの大切さが
基準になっている河田さんのやりかた。

まだまだ諦めずにできることって,たくさんあるような気がする。
それを仕事にしていくことだって。

なんだかまとまらなくなってしまったけれど,
『その手は命づな』って本はおすすめです。
図書館から借りて読んだんだけれど・・・

と,今日はここまで。
[PR]
by KATEK | 2007-12-15 21:20

掃除は奥が深いのだ。

片付け再考。

今日は台所の引き出しと,流しの下の開き戸のなかを整理。
いらないものがいっぱい出てきたし,
混ざっていたものを分類できた。

でもバテちゃったかな・・・
もう少しばかり,やらないという意志,休もうという気づきが
いりそうだ。

小休止しているときに,またふっと思ったこと。

けっこうがんばったのに,外から見ただけじゃなんの変わりもない。
これって,勉強とおんなじだ。
いわゆるプラトーってやつかな。

数学なんかがわかりやすいけれど,ある程度まで勉強すると,
途中で全然成績が伸びない時期がやってくる。
でも,ここを諦めないでふんばって続けると,ある日突然,
目の前が開けるようにわかってくるのだ。

細かく区切って片付けははじめたものの,今日の片付けは
見かけ上何にもやっていないのと同じ。
でも,この繰り返しでやっていけば,いつかは全体がまとまって
きれいになる日がやってくる。

今頃なんだと思われるかもしれないけれど,今住んでいる家に,
今日一日で愛着がでてきたのがわかった,のである。
長く付き合っていこうという気持ちが,やっとでてきたようだ。
少しづつ住みやすくなっていくぞという確信。

自分で小さな目標を作って,タンタンと休みながらやっていくこと。
人にはわからないかもしれないけれど,自分のなかでは
よくやったというちょっとした快感があれば続けられる。
それに自分のなかで,また新しい小さな段階が見えてくる。
次の課題だ。

こういう感覚を生徒にもわかってもらえたらいいなぁ。

ようは,
がんばり過ぎない。
ちょっとで満足する。
できればぼちぼち続ける。
目標を持つ。
自分のことをほめる。
だ。

なーんだとおもわれるかもしれないけれど,わたしとしては
生活のなかからの発見!
満足!

今日の夜更けには,流星が見えるそうだ。
そのころにはぐっすり寝ているだろうな。
[PR]
by KATEK | 2007-12-14 18:30

ジグザグに進め。

ここ数年,したくてできなかったのが片付け。
昨日も書いたように,それがやっとできそうな気になって,
さらに実際ちょっとづつできるようになってみて,
ふと気づいた。

やりたいのにできなかった時の状態・・・

目の前に「片付け」ってことばがドーンとでてきて,
やらなくちゃと思いながら,どこから手をつければいいのか,
なんてことも考えられなくて,ただただ焦ってしんどかった。
ウワーッとのしかかってこられた感じ。

それが,片付け=あの引き出しにたまった割り箸捨て。
          =流しの下にあるとっておいた空き瓶を捨てる。
          =寝床の前に積んである本の仕分け,整頓。
          =トイレのギャラリーのほこりとり。掃除。
            (我が家ではトイレが物を飾る場所になっている)
などと,細かな具体像がでてきたら,ここまでならできる,
そんな風に考えることができるようになってきた。
ここがポイント。

と,ボーっと朝の日を浴びながら感じていたら,ひらめいた。

そうだ。
生徒の「わからない」もきっとこれだ。
経済とか憲法とかいわれたって,大事そうなことはわかるけど,
なにがどうなっているのかわからないという恐怖。

もっと細かくブツ切れのテーマで,具体的なことをいくつも
重ねていく間に,なんだか全体像が出来上がってくるにちがいない。
目標をいつも忘れなければ・・・

山を歩く時だってそうだ。
山頂は見える。
近そうでもあり遠そうでもある。
直線でいっきに登ろうとしたら,すぐばてる。
ジグザグにまいてまいて,休んで休んで登っていく。
休むペースがつかめれば,あと一息がんばれる。

今までの授業,ジグザグがなかったかも。
あったとしても,山頂は見せていなかったかも。
休ませてあげてなかったかも。

勉強も生きるのもいっしょだ。

来年の冬には,少しはましな授業をしていられたら・・・
って思うのだった。
[PR]
by KATEK | 2007-12-14 09:08
書きたいことがたくさんある気がするのだけれど,
なんだかうまくことばにならない。

社会のこと,世間のことについても,その時々に思うことは
あっても,書くまでに至らない。

自衛官の秘密漏洩事件にしたって,どこまでが重要な情報なのか,
そんなことは一切隠されたままだし。
アフガンでの自衛隊の給油のことも,アメリカでは公開さてている
情報が,日本では機密扱いになっているという。

世の中,「藪の中」になってきた。

ところで,この前,「KY」なることばがあることを初めて知った。
空気読めない,の略語だそうだ。
生の生徒と話さなくなって時間がたつので,そういった流行にも
遅れてしまったようだ。

今月の『論座』で,鴻上尚史さんが,この「空気を読む」ことについて
簡単な文章を書いている。
・・・空気なんか読まなくていい
     まずは,自分がやりたいことをやろう
という見出しで始まる。

空気が読めないと弾き飛ばされると,みんなが怯えているからじゃ
ないかといっている。

わたしも,このKYなる語は嫌いだ。
閉塞的で,全体主義的で。

ただし一方で,周りに全く注意を払わなくなっている人が
増えていることは,また考え物だ。

駅を歩いていても,歩道を歩いていても,人や自転車が目の前
スレスレを,平気で横切っていく。
ちょっとのタイミングのずれで事故が起こること間違いなし。

昨日は駅周辺を歩いていたら,前に3人の人がくっついて歩いていた
ので,仲間どおしだと思っていたら,すーっと離れていくではないか。
あんなに他人の肩がくっつくほど近距離になっても,平気とは・・・

自分と異色なものは排除し,仲間どおしでは自己規制を強要する
この感じが嫌だ。
なんだか,人ごみに入っていくのがどんどん億劫になっていく。

と,ここでまた話は変わって,片付けのこと。

片付けられない状態が長く続いて,そのことがとっても苦痛で,
できるならまっさらなところからやり直したい,
全部捨ててしまいたい,なんて気になっていた。
ここのところずーっと。

でも,すべてを捨ててまた買いなおしていくのは,同じことの繰り返しに
過ぎなくなる。
いまの状態からどう抜け出すかが,生き方を変えるポイントだ,
そう思えてきて,やっと小さな片づけができ始めた。

今日はこの引き出し。
明日は台所のあの部分。
そうやって細かく範囲を決めて,ちょっとづつ片付ければいいんだ。
そう感じられるのはうれしい。

たまりにたまっていた薬は,今日捨てた。
何かあったらなくなると困るから,予備はとっておいても,
強い薬はほぼ全部捨てた。

なんだかとっても軽くなった気分。

捨てることと諦めることが大事だと,斎藤茂太さんはいっている。
そうだな。
と思う。
諦めが肝心だよな。
自分の限界を知ること。

ちょっとづつだけれど,変わってこう。
変えていこう。
今は,自分のことから。
[PR]
by KATEK | 2007-12-13 20:41