日常って、微妙な差異こそ大事かなと思います。


by KATEK
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歌う生物学の本川さん

最近になって感じるようになったこと。
コンビニなんかにおいてある商品。
こんなにたくさんの種類・たくさんのものはいらないって思い。
過剰な商品に,うんざり。
私はいままでこんな異常な状態に気づかなかったという驚き。

人間って,食べる量だって決まっているし,
そんなに豪華な食べ物ばっかりいらないし,
服も雑貨もそれほどたくさんは必要じゃない。
流行だって,追いかけていくには限界があるし。

早くいっぱい食べろ,
どんどん着てどんどん捨てろ,
どんどん買って,どんどん壊せ,
なーんて押し付けられているような気持ちになってしまう。
いやな感じ。

これだけあふれかえった商品たちも,みんな消費されるわけじゃなく,
捨てるのが前提になっているわけだ。

世の中おかしい。
というか,いままでの数年,まぁ10年近く,
消費にのめりこんでいたわたしはどうにかしてた,
なんていまごろになって強く思う。

今日読んだ『「長生き」が地球を滅ぼす』(阪急コミュニケーションズ)という本で,
ますますその思いがはっきりしてきた。

この本の著者は「歌う生物学」で有名な本川達雄さん。
(本川さんの歌を聴きたいと思って,もうずいぶん前に図書館でCDを
借りたことがある。とっても愉快。)
人によっては,『ゾウの時間,ネズミの時間』という本の名前のほうが
ぴんとくるかな?

日本の人口密度や,時間の速さ・エネルギー消費量の多さ
なんぞを,生物として考えた場合の(他の生物と比較して)異様さを
数字を使ってわかりやすく解説してくれている。

ヒトサイズの哺乳類の行動半径は,ふつう12平方キロメートル。
直径4キロメートルの円におさまるらしい。
4キロなら1時間で歩ける距離。
それなのに生物学的にはヒトであるはずの今の人間の行動範囲の大きさと
いったら,すごいことになるらしい。
通勤1時間なんて短いくらいだと思ってきたけれど,
本来の生物と比較すると,計算上からいえば,93倍くらい行動範囲は広いという。

なんていうふうに,一般の生物と人間の(日本人の)行動を比べているのが
この本。

もっとゆっくり,もっと小食で,こじんまり暮らすのがヒトの本分なんだなぁ・・・


と,そんなことで,今日は一駅分歩いたら1時間。
きょろきょろしながら,普通のペースで歩いたのだけれど,電車なら3・4分で
いけてしまうんだもの。
この差はなんだ?

本川さんの数字によれば,1960年代以前の生活のエネルギー消費量や
時間のありかたは,本来の生物のヒトのものと変わりがなかったということだ。
だからヒトがヒトでなくなったのは,ここ40年くらいでのことってわけ。

経済成長が永遠に続くと考える物理学的な発想はやめて
もっと生物学を根っこにして考えたほうがいいと,わたしも思う。

なんだかまとまらない文章になってしまったけれど,
この本はなかなかいけるのである。
と言いたかったのでした。
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by KATEK | 2007-02-28 21:18

出口のない海

駅の階段を前にすると,あぁエスカレーターはやめて,階段にしなくっちゃ
そう思って実行に移さない自分がなんとも情けなくなる。
今日は,前向きに階段をのぼった。後悔しないために・・・
のぼってしまうと,大したことはないのだけれど,これがなかなかできない。

それはわたしが頭痛もちだってことと大きく関係している。
垂直移動は,頭にずっきんとくるのだ。
ほぼ毎日頭痛はうっすらあるから,階段を上ってずっきんとなったらどうしよう
そんな不安が先に立つ。

今日は頭痛がするから,階段を使ってみようと思ったのだ。
まぁ大したことはなく上れたので,駅ひとつ分歩こうと,さらに鞭打った。
やっぱり痛い。

でも,オオイヌノフグリの前で立ち止まってながめていた一時,
ミツマタ(オレンジ色のもの)を見つけたとき,
この時間のあたりでは,頭痛を忘れていた。
ほんの数分づつだけれど・・・

どうすれば,この厄介な頭痛がなくなるか
今のところ解決方法はない。

ところで
映画『出口のない海』(DVD)は見てよかった。

特攻隊=神風=飛行機で体当たり,というのは知っていても
人間魚雷,回天のことは知識だけで,まったくイメージというものがなかった。
だから,回天そのものがどういうものか知ることができたということは,
まず一つの収穫だ。
そしてこの映画の内容。
何のために人は死ねるか,という問いかけがありきたりのものでなかったこと。

国益ということばが,今の世の中でも政治家の中では流行っている。
いいかえれば,「お国のために」だ。
死がうつくしいものである,自己犠牲は尊いことである,と
この国の首相は考えているのか,また人びとにそう思わせたいのか,
はっきりしたことは言わないけれど,
そんなの嘘だって考えるきっかけにはなる。
この映画の描き方。

主人公は「お国のため」にではなく,こんな考えられないような死に方を
選らばされたということを伝えるためにといって,出撃した。
けれど,操縦がへたな彼は,突撃・撃沈する前に,海底の岩盤にはまってしまい,
じわじわと動きが取れない回天のなかで死んでいったのだ。
なんという「犬死」か。
でも,その滑稽さと必死の思いがわたしのなかで深く沈んだ。
こんな死に方を誰にもさせてはならない。

死が美しいとしたら,それは家族の中で安心してにこやかに逝くことができたとき
だけだ,そう思う。
そういう死にかたができる世の中であってほしい。

「人権メタボリック」なる発言が,また国会の中でされたようだが,
どんどん失言してほしいものだ。

さて,頭痛がまた薄らいできたようなので,ちょっとストレッチでもしよう。
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by KATEK | 2007-02-27 20:59
春だぁ
なんておもって
ちょっと薄着をしていたら,なんだか鼻がぐっすんぐっすんいいはじめた。
ちゃんと,冷えそうなところには使い捨てカイロをはっていたのになぁ。

暖かくしなくては,と急きょ
こたつにもぐって,さぁなにをしようかと考えたら,たまには文章に関係ないものが
いいというきがして,初めてナンプレをやってみた。

初級の最初の問題,30分くらいやってだいたいのマスはうまったものの
どうやらまちがいがあるらしく,最後に帳尻が合わなくなった。
わたしって,ほんとに数字に弱いのね。

よし,続きはまた明日だ。
ということで,
今日の書き込みもこの辺でおしまい。
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by KATEK | 2007-02-26 21:48

原作かテレビドラマか

山崎豊子の『華麗なる一族』を一ヶ月前くらいに読んでしまったので,
テレビドラマのほうはもういいやと思いつつ,原作とどこまでずれていくのか
なんてことにも興味が出てしまって,なかなかドラマから目が離せない。

しかし換骨奪胎というか,展開のしかたの大きな違いにどうもとまどってしまう。
親の万俵大介のあからさまな息子いじめ。
息子の万俵鉄平の父への思い。闘争心。負けないという思いの強さ。
ドラマではそんなところが強調されすぎていて,ナイーブな親子関係が
でてこない。
おいおい,人間ってそんなに白か黒かじゃ,生きられないよ,たぶん,
と思いはするもの,ドラマだからなと納得。
あと3回で最後までいかなくちゃならないのだから,話は変えていかないと
ならないのは仕方ない。

と,ドラマに気がいっていて,せっかくの新日曜美術館を半分しか見られなかった。
わたしの気になっている人,志村ふくみさんの特集だったのに。

草木染から織りまでのなかに,志村さんのいろいろな思いが詰まっている。
源氏物語をテーマにして織り上げ着物に仕立てた作品をみた。

うっとりするほど美しい色のつらなり。
画面から目が離せないほどきれいだった。

志村さんいわく,平安の頃はもっと繊細な色使いができていて,
当時の紫色を出すことはまだできない。
でも,命を受け継ぎながら,もっと色を探していきたい。

(このまとめ方は,『華麗なる一族』の原作とドラマくらい,
違ってしまっているけれど,たぶん志村さんはこういうつもりだろうという
わたしなりの受けとめ方で,書いてしまった。)

平安時代は模様というものがなかったので,色で違いを表現していかなくては
ならなかったというから,いまさらにして納得。
かすり模様を生み出した人の話を読んだことがある。
なぜそんなにかすり模様が画期的だったのか,いままでわからなかった。
でも,志村さんの話で合点がいった。

本物を見てみたいなぁ・・・
情報にうといわたしです。
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by KATEK | 2007-02-25 22:41

慣性の法則はすごい。

いつのまにかもう3月。
このまま春に突入するってわけか。

春は大好きな季節だけれど,からだと気持ちにはいい気候ではないらしい。
陰陽五行説でいけば,春は「気」をいためやすい時期にあたるのだ。
「気」は元気の「気」。
精神疾患には大敵。
なんでだろう。
天気が変わりやすいからかしらん。

このところ,元気な日はまる一日元気だけれど,その分ほかの日に
しわ寄せが来る。

慣性の法則という物理で習ったことば。
これが実際の生活にぴったり当てはまってしまうからすごい。
(物理学ってなんなんだ??)

いったん横になってしまうと,かったるさが増してきて,さらに動かない
状態になりやすい。
そんな自分がますます困り者で,だからますます気持ちまでかったるくなる。

でも,朝から腕まくりしてよっしゃと思って何か始められる日は,
一日ひょいひょいと動けてしまう。

あの有名な日野原重明先生は,「生活習慣病」ということばをつくり
広めただけあって,習慣の恐ろしさをよく語ってくれる。
いったん動かなくなると,悪循環が始まるから,ちょっときつくても
慣れるまでは動く習慣をつけるよう努力しなさいと書いている。
わかっちゃいるけどなぁ・・・

なんでこんなに朝突然調子がいい日がやってくるのか。
なんでこんなに今日は動けないのか,理由がわかればもう少し何とか
できそうなんだけど。
それはいいわけであって,ともかく歩くぐらいはしないと,そう思い
ますますMUSTの世界にはいってでられなくなるわたし。

そういえば,昨日,芥川賞受賞のインタヴューの様子を見た。
『ひとり日和』という作品。
芥川賞選考委員の方々(たとえば,あの石原慎太郎さん!とか村上龍さん)は
口をそろえて,この作品はいいとほめまくる。
そうかなぁ・・・
わたしにはちょっと向かない作品だ。

若い女性が主人公。
彼女の毎日感じるこの社会への違和感とか不安を描いたという。

主人公にはちょっとした盗み癖(ちょっと失敬ってな感じ)があって,
それを自覚してはいるけれど,ちょっとという風にすましてしまう。
これも違和感の表現とはいうけれど・・・
人間ってこんなに薄っぺらいものなのかなぁって感じてしまう。
今の若者が抱える不安は,ことばにならないけれどとっても複雑で
それを本人は自覚していなくても,その不安をつかんでほしい気がするんだ。
文学というものに。
社会科学では言い尽くせないなにかを象徴的にずばっと,あるいは
それとなく・・・

今一歩ふみこみが足りなくて,文章自体もケータイの会話のように
なんだかぶつぎれな気がして,わたしには読みにくかった。

読んだすぐ後に,横光利一の『機械』を読んだので,なおさら。
横光利一の文章も読みやすくはないけれど,リズムがあってなんだか
踏み込んでその世界の中にはいっていけるような。

まぁ,石原さんのように「今をとらえた作品を書いた方」がいいと
おっしゃるのだから,いいのかもしれない。

単なるわたしの好みを書いただけでした。
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by KATEK | 2007-02-24 19:16
沈丁花の花が咲いていた。
こころなしか,いつもの年より香りが弱い。
蕾のままいつ花を開いていいのかわからず,ずっと待っていたようだったから
疲れてしまったのかしらん。
こんな気温では植物もいつ咲いていいのか判断ができなくなるだろう。
でも,やはりいい香りに会うとうれしい。

佐藤初女(はつめ)さんの本を初めて読んだ。
初女さんは,青森県に「森のイスキア」という施設を作って,
いろいろな人を「癒して」きた人だ。
おいしいご飯を炊き,野菜中心の素朴なおかずを作って,訪ねてきた人と
一緒に食事をすることで,「社会奉仕」をしている。

知り合いが初女さんのところに,ご飯の炊き方を習いにいってきたという。
それはアメリカでのこと。
(今はアメリカにいることが多いのかしら・・・その辺のことは聞かなかった
からわからないけれど,アメリカまでおにぎりを食べに行ったというのは
すごい)

その知り合いによれば,本当に,本当におにぎりがおいしくて,
野菜のおひたしも絶妙で,これは食べなくてはわからないということ。

お米に優しく,人にも優しく,こころをこめて食事を作る初女さん。

お米O合にたいして水O杯とかいったことはしない。
あくまでその日のお米に聞いて,水の量を調整するのだと言う。
お米がふっくら盛り上がって炊けるのだそうだ。

>食材の命が,料理によってもう一度生かされた時に,初めておいしい
>ものができるし,その命そのものをいただくことによって,わたしたちは
>元気になります。
>ニンジンもね,生きていると思うの。だから,力まかせにざくざくと切ったら,
>ニンジンも苦しいと思うのよね。だからわたしはそっと切るの。なんでもそう。

食べることは人間の最も基本にあること。
だから大事にしなくちゃとはいつも思っている。
現実は「死んだものばかり」食べているのだけれど。

まぁ今日は丁寧につくろうかと思ったけれど,やっぱりうまくいかない。
お米はそうふっくらしなかったし,魚の煮物は火を通しすぎ。
卵とじは,おつゆがにごってしまったし・・・

こころをこめてどうやったらいいのだろう?
一朝一夕にはできなくて当たり前だけれど。
でも,こころをこめてつくるという気持ちは,気持ちだけはもっていよう。

今日切ったキュウリは,痛くなかったかな?
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by KATEK | 2007-02-23 21:49

荒川さんの文章から

せっかくなので今はまっている荒川洋治さんの本から,一部抜粋しよう。

『本を読む前に』 新書館から

>文学部で源氏物語や川端康成や大江健三郎やフランス現代思想を
>お勉強しても,人間として使いものにならなければ,どうしようもない。
>真の「文学的想像力」とは,依頼状を書くことである。

  荒川さんのエッセイ集のなかで,一番おもしろいと思うのがこの
  『本を読む前に』だ。

  荒川さんは文章(詩やエッセイ)を書く人だから,原稿の依頼がよくくる。
  ところが,締切日だとか,写真が必要だとか,金銭的なこととか
  きちんと最初から説明しないでおいて,あとからバラバラと「~してくれ」と
  編集者側から依頼が来るのだそうだ。

  最初からいっておいてくれれば,自分なりの準備ができて都合をつけられる
  ことも多いのだけれど,そんな細かなことは想像もしないでただ「書いてくれ」
  とだけ頼むというのはどうか。

  相手のことと自分の仕事とを前もって考え,必要なことは始めにそろえて
  おける,そういう想像力こそ本物だということ。

  おお,そうか!
  と,わたしは納得。
  文学とは人間を描くことなのだから,(自然を描くとしても,人間の目で
  描くことには違いない),相手を想像するということはあたりまえのこと。
  でも,わたしもなかなかそうはできない。
  せっかちすぎるし,細かすぎるらしい,要求が。
  文学していないなぁとまさに思った次第。


『世に出ないことば』より

>個人のことばがいのちを保つには,それを見ている人が必要だ。ただ,
>ことばの意味を理解するということはない。ここに,誰もいわないこと,
>いえないことを述べた人がいる,その人を支えていこうという人たちが,
>いなくてはならない。そのことばがそのときの状況のなかで,どんなに
>個人的なものであっても,そう述べた人を孤立させまいとする人たちが
>いなくてはならない。いつも,どんな世界にあっても,そういう人たちが
>いることで,ことばは少しでも先へと,いのちを伸ばしていけるのだ。


   黒島伝治という作家の小説の中で,戦場での農民の会話をかいたところ
   があるそうだ。
   
   =「殺し合いって,無常なもんだなあ!」
     彼らは,ぐっと胸を突かれるような気がした。
     「おい,おれゃ,今やっとわかった。」と吉原がいった。「戦争をやっとる
     のはおれらだよ。」「おれらに無理にやらせる奴があるんだ。」
     だれかがいった。
     「でも戦争をやっとる人はおれらだ。おれらがやめれゃ,やまるんだ。」

   この文に対して荒川さんはこう続けた。

>素朴なことば,あるいは壊れもののことばとみなされて,これからも現実の
>社会のなかでは力をもたないものなのである。そう心に思ったとしても,
>そうはできない,そういうときのことばはすべて,個人のことばである。その人
>ひとりのものなのだ。そこにことばのはかなさも美しさも強さもあるのだが,
>個人のことばがひとつであること,残されていることは,はじめからことばが
>なかったことと同じではない。

     人間のことばって,個人のことばなんだ。それを支える人がいるんだ。
     ってことが,とってもわたしの中に響く。
     
     ことばが少しでも力をもちえるとしたら,わたしはその人のことばを
     支えていくことが大事なんだ。

ということで,荒川さんの視点というのは,とても新鮮に感じるものが多い。
あと1冊読む予定。

ところで,前に陶器市にいって,相方が選んで買ってくれたカップにひびが
はいっていて,残念ながら返金してもらったことがあった。
そこに今日は突然のプレゼント。
コーヒーを飲むための「マイカップ」を買ってきてくれた。
うれしー。
(写真ではおおきくみえるけれど,手のひらサイズ。デミタスカップ。
ちゃんとまんなかには指のくぼみがついていて,シンプルだけれど
使い心地がいいのです。)
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ついでに,相方が作ってくれたプリンをご紹介。
これは最初のもの。あとでもう一度作ってくれて,今まだ残りがある。
うれしー。
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焼きプリンなのです。すもはいっています。
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by KATEK | 2007-02-22 21:33

うそっぽいわたし

近頃,ちょっと偉そうなことを書いてしまっているな,と
荒川洋治さんの本を読みながら,反省してしまうわたし。

本も消耗品扱いしてるしな,
なんだか自分が嘘っぽいなって感じ。

荒川さんの本,4冊目。
なぜかあとをひく文章なのだ。

まだ詩は読んでいないというのに・・・

身の丈にあったことばというものを,考えるのが面倒になっているかな。

もっと自分で味わないと・・・
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by KATEK | 2007-02-21 23:17
文句を言うならテレビを見なけりゃいいと思うのだが,
ついニュースと天気予報はNHKをみてしまう。

夕方の番組で,団塊の世代の定年後,男性が女性から離婚をきりだされ
ないようにするには,なんて特集(?)をしていた。

団塊の世代は,戦後仕事に突っ走った世代なんてアナウンサーが言っていた
けれど,違うじゃないか。
高度成長で突っ走った時代の人たちはもうとっくに定年をむかえている。
だから,家のことに無関心だった人たちが家にいるようになる,という
説明はそもそもおかしい。

ニューファミリーなんてことば,もう忘れ去られてしまったのだろうか。
わたしとしては,団塊の世代の人たちは,うまく立ち回ってきた人たちとその
仲間たちだというレッテルを貼ってしまいそうになる。
もちろん多くの例外もあるけれど。
けっこういい思いをしてきた世代なんじゃないかな。

それなのに,団塊の世代の男性のこれからの過ごし方まで,
NHKがめんどうをみるっていうのは,大きすぎるお世話だ。

「愛している・ありがとう・好きだ・ごめんなさい・・・」と気持ちをことばにしよう
なんてセミナーの様子を写していた。
そんな個人的なプライベートなことを,セミナーに習いにいくの?
ばかばかしい。
そういうことを嫌った世代じゃなかったの?

わざわざキスをしたり,ハグしあっている夫婦を撮影しちゃったりして・・・

そんなの個人に任せておけばいいこと。
NHKはそんな情報を流すより,もっと良質なドキュメンタリーを
作って下さい。
情報番組だって,単なる情報のそれもハウツウものばかりで,
批判ということばを忘れたようだ。

なんて,今日はちょっと愚痴ってしまいました。
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by KATEK | 2007-02-21 21:29
ヨッフム指揮のブルックナー7番を聴いている。
ヨッフムといったら「カルミナブラーナ」としか記憶にないわたしにとって
そしてブルックナーといったら朝比奈指揮ばかり聴いてきたわたしにとって
この7番の演奏はいままでの7番とは思えないもので。

新鮮だ。

寄せてはかえる波のように,うねりながら続いていくブルックナーの曲が,
目がさめたような明晰なものになっている。
ところどころにあらわれる休止符とか,音の強弱がとてもはっきりしていて
きれがいい。

あの熱情的な「カルミナブラーナ」の演奏とはずいぶん印象が違う。

いいなぁ。これ。

ところで,最近舌の置き場に困っている。
最初にわからなくなったのは高校生の時。
朝学校についてから,なぜか舌はどこにおくのか突然わからなくなり
どうも不自然で落ち着かない一日を過ごしたことがある。
(呼吸も似たような経験があるけれど,ここではまぁおいておくとして。
でも,呼吸の仕方がわからなくなると,けっこう苦しいもので,
その点,腹式呼吸とか呼吸を意識的にコントロールできるようになったいまは
だいぶ楽だ。)

今回の問題は,舌が腫れて歯型がついてしまい痛くなっているところにある。
どこに舌をもって行けばいいのか,どのくらい歯をかみあわせないように
しておくか,そこが微妙なのだ。
すわったままうとうとしていたら,なんども舌をかんでしまい
こんなことあるのかって感じ。
下が腫れるようになったのは去年からのこと。
体の調子がずいぶん変わったのだろう。

と,なんだかつまらないことを書いてしまった。

気になっていること,もう一つを書いて今日は締めくくり。

NHKのニュース。
チェイニーが来日という事実を報道する時に,かならず頭につけるのが
「テロとの戦い」のためにということば。
いまのイラクの情勢は,もうそういう段階ではないだろう。
テロを作り出したのは誰だったのか,
自爆テロが続いているのはどこなのか,
それはなぜなのか,
その辺のところを,もう整理する時期ではないか?
日本はアメリカと軍事同盟を結んでいるといいきってしまうNHKの
報道のあり方に大いに文句をつけたい。
事実よりことばが先行して,政治が動いていくことは少なくないのだから。

NHKのアナウンサーのみなさん。
『グアンタナモ,僕達が見た真実』という映画を見てください。
イギリスやパキスタンの少年達数人が,タリバンとかテロリストとか決め付けられ
キューバのグアンタナモ米軍基地で拷問を受けていたこと。
どんなに強引に,そして残酷に少年達を扱ったかを。
そんなアメリカの対イラク戦争の恐さを。

と今日はここまで。
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by KATEK | 2007-02-20 20:58