日常って、微妙な差異こそ大事かなと思います。


by KATEK
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いよいよ今年も今日でおしまい。
政治の面でも,子供たちの面でも,大きな事件や変化がありました。

特に夏の靖国神社,そして11月・12月の国会と注目しなくてはならないことも
たくさんあったのですが,わたしは,ちょっと時事にうとくなりはじめ
この点反省です。

来年から決まった法律が動き出します。
経済が戦争にひっぱられていかないようにしなくては。
「個人」と「つながり」がキーワードかなとも思います。
非力さをたてにつながること。
共謀罪の法案がは残っていることも含めて,それぞれが監視の目を
ひからせていきたいものです。

子供たちの未来も,ワーキングプアーの問題もつながっていますし。

去年の暮れに書いたブログ,ここにまたのせておきたいとおもいます。

   不安について,森ゆりさんのことばを紹介します。

    >以下,不安の危険な要素をあげてみた。
    >1.不安は伝染する
    >2.不安に圧倒されると人は思考停止状態になる
    >3.不安はお金になる
    >4.不安は支配の道具に使われる
    >5.世論をつくりだすために,不安は人工的に煽られ,
       人々はそれに翻弄される

  森さんのメッセージです。
    >「ひきわけよう・あきらめない・つながろう」

  わたしもこのメッセージにのった!です。

不安が一番の厄介者です。
足元を,固めていく作業ができたらいいなぁとおもうばかりです。


ところで,山尾三省さんの詩の中に
お正月・元旦に海に手をあわせるというのがあります。
命の源・海。
何億年もかかってここから出発したことをありがたく思い出しています。

いまわたしがここにいることの不思議さ。
だからこそ,いのちは自分自身大切にしなくてはと思い返します。

今年もわたしのブログを読みに来てくださった皆さん。
本当にありがとうございました。
いろいろな面で支えられ,教えていただき,つながることの喜びを
感じさせていただきました。
来年からは,またもうすこし情報の発信という面でみなおしながら
続けていきたいと思っています。
よろしくお願いします。
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by KATEK | 2006-12-31 01:17

今年の決心

午前中いろいろ考えた末,今年から年賀状形式のものをつくるのは
やめることにしました。

「美しい国」とか「国を愛する」とかいうところと「文化の継承」が
ナショナリズムの下,つながっていくのはどうかなと考えた結果です。

元旦に間に合わなくたっていい。
旧正月というのだってあるわけだし。
それに,一年に一度新しい気持ちで,普段あまりあわない人と
近況を伝え合うというのがいいことであって,書くのを急いだりすることも
ないかなと思いもして。
人とのつながりを大事にする文化こそ,大事にしたいとも思います。
政治にからめとられないように。

今年からは,「春の便り」という形で,葉書を出すことにしようと決めました。

ただ年賀状は買ってしまってあったので,裏には年賀と書かれているの
ですが・・・

明日からゆっくり宛名書きを始めます。
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by KATEK | 2006-12-29 21:37

いい日和

そろそろ今年との付き合いも終わりかけています。
今年は大掃除どころか小さな日常の掃除もむりそうなので,
おもいきって諦め,部屋の美化は,来年の目標にしたいと,この朝日のもと
きめました。
来年こそ,ここに移り住んできてからのごちゃごちゃしたものに
占領されている生活を,すっきりさせたいと思います。

「生活はアートだ」と書いてある本がありました。
食べることも,着ることも,家の中の住み心地も,自分で決めて創りあげて
いくものだということに,最近ようやく気づいた次第。
たぶん相方は,「やっとわかってくれたか」と思うことでしょう。

今日は何をしようかしらん。
相方がおきてきたらゆっくり決めましょう。
まずは年賀状作りからかな?
相方の腕に頼っているので,わたしとしては反省ですが・・・
いつも31日に投函するというのが続いています。
今年もそうなりそうです。
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by KATEK | 2006-12-29 08:03
ほめられちゃいました。

わたしは,毎日スーパーにいくだけでも,木の枝や葉っぱを見て
色のセンスに驚いたり,木の枝振りが気に入ったりと,そこらへんを
見て歩くのがすきなんです。

旅行に行って川のそばを歩くとき,石がきれいだったりすると,それだけで
うれしくなって拾って帰ったり,

歩いている途中で猫に会うと,またそれだけでうれしくなったり,
(雨の日によく猫が集まる場所があって,3匹の猫とそこで会えるのが
楽しみだったり・・・)

そういうことでひとつひとつ喜べるのは,なんと「才能だ」とまで
いわれてしまいました。
「そういう才能をそのままにしておくのはもったいない」と。

えーって思っちゃったのです。
これって「才能」?

そうしたら今までしてきた仕事以外に,わたしにも才能があるってこと??
これはびっくりです。

最近とみにまわりをきょろきょろしてみてまわるのが好きになってきて,
写真を見るのも好きになってきて,
そんなわたしが肯定されてるんだと思うとうれしくなっちゃいました。

そして今日はわたしの大好きな清水真砂子さんの本も読めて
もう,とってもいい気持ちです。
何回か書いたと思いますが,清水さんは,「ゲド戦記」を翻訳した人。
彼女の書いた本も素敵なんです。

『幸福に驚く力』かもがわブックスの本です。

この本のテーマに直結はしませんが,途中で石垣りんさんの詩を
紹介していました。

    挨拶

 しずかに耳を澄ませ
 何かが近づいてきはしないか
 見きわめなければならないものは目の前に
 えり分けなければならないものは
 手の中にある
 午前八時十五分は
 毎朝やってくる

ささやかなことを大事にしたいという思いは,多くの人が持っていることでしょう。

わたしがそんな橋渡しみたいなことができたらどんなにいいだろう
なんて思ってしまいました。

人間の一日というのがどんなにすばらしいものか,
それは自分で物語りにとどめておかないとなかったものになってしまうという
くだりも,納得。
ターシャ・チューダーさんのように,物語をつむぎだすことと
生活することが一体となって,つらいけれど幸福な生き方ができたら
そう思いました。
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by KATEK | 2006-12-28 17:19

男の人は過労死する

今日も3度目のエントリー。

「のだめカンタービレ」の影響で,いつもなら聞かない交響曲を
昨日も今日も聞いている。

昨日はベートーベンの9番。
今日はベートーベンの7番。ただし木管と金管楽器だけで演奏したもの。
そしていまマーラーの5番。
人間の感情がうずを巻き,まとわりつき,昇天し,沈み込み・・・
「ベニスに死す」はマーラーの曲と一体化していたっけ・・・

突然思いついたことだけれど,過労死はほとんどが男性のような
(資料を見ていないので断定できないけれど)気がする。
そのわけは・・・
男性には「人間らしい生活」の基準がないからじゃないかって。
家の相方みたいに,家事をやり家でのさまざまな暮らしに全面的に
関わっている人は別。

疲れて帰ってきても,食事が待っていたり,お風呂が沸いていたり
洗濯や掃除は「誰かが」やってくれている,とすると,
人間にとって生きるのに必要な時間の基準がなくなって,
「会社時間」「仕事時間」しかなくなってしまうこともありだから。

わたしは,せめて夕飯は自分で作りたいし,お風呂を沸かしてはいりたいし
時々はは花の世話もしたいし,カーテンを洗ったり,ほつれ物を直したり
「生活」したいのだ。
そのほかに働く時間がある,というのが条件。

だから,仕事から戻ってきてバタンキューっていうのは,不自然なこと。
そして,そういう毎日が何ヶ月も続いたら,仕事の見直しをしたいって思う。

楽しみと生活とがくっついていて,初めて「人間の生活」なんだと思う。

そんなことも考えながら,いま仕事についても頭の中を整理している。

つい前の職場でのことを思い出してしまうけれど,
忘れることもまた無理なこと。
忘れて,流してっていうのは,日本の政治と同じ。
世俗的な「みそぎ」感覚じゃないだろうか。
無理に思い出すことはないけれど,今を考える材料にはしたい。

「健康で文化的な最低限度の生活」
憲法25条に高らかにうたいあげられているこの規定を守ろうとする
努力もしたいと思う。
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by KATEK | 2006-12-27 20:25
今頃,「天高く・・・」のまるで秋空です。
見ていると気持ちはいいけれど,時期外れすぎるのはやはり反則,というか
季節を間違えてはいけません。
(間違えさせる原因を作っているのは,人間なんですよね)

エスカレーターに乗っていたところ,目の前にふさふさした茶色い毛が
ぶらさがっていました。
今年はショルダーバッグの一部に毛をつけるのが流行のようで,
猫っぽいわたしは,前にそんなものがぶらぶらしていると飛びつきたくなる
いいえ,引っ張りたくなってしまいます。

わたしもうさぎの毛でできたアクセサリー(?)をもっています。
去年,相方がわたしの誕生日にくれたもの。
「耳あて」です。

ヘッドフォンのようにつながってはいないので,片方ずつ耳にはめこんで
使うようになっている変わりもの。
でも,冬がこんなにあったかいと,この耳あてを使うチャンスがありません。
来年はどんな年になるんでしょう。

図書館で借りた写真集の中に変わった動物や鳥をみつけました。
ヒヨクドリとアフリカヘラサギ。

ヒヨクドリは,真っ赤な衣装を着て,おしりには二本のほそーい針金の先に
緑のくるくるって巻いたひもをつけている感じ。
目元には黒い一本のアイライン。

アフリカヘラサギは,カモノハシのようなくちばし(もっと細いけれど)が
魅力的で,からだはまるで羊のよう。
そのちょっと間の抜けた感じが愛らしいんです。

このふたつの生物を見たらちょっと元気がでてきました。
(見た本は『地球の宝石』竹書房)

またその本にはこんなことが書いてありました。

>アオウミガメは3万キロも海を渡る。

>世界中のおもちゃ屋でバービー人形が180個売れるあいだに
>シロナガスクジラの心臓は9回鼓動する。
>人間と動物が仲良くやってゆけないのは無理からぬことだろうか?


OH!
生きるってすごいこと!

いつでも,主人公は人間ばかりじゃないこと
いまも,世界中の生きもの達がうごめいていることを想像すると
なんだかうれしくなってきます。
もっともっといろんな生き物とそして人間と共生するチャンスはある。
絶滅しそうな生き物も多いけれど,まだまだ豊かな生命が
いたるところにある。
それにくらべて,わたしのこのちっぽけさ。
だからいいんですよね。
非力であることは,重要なことなのかもしれません。
傲慢になりすぎないために。

それにしても写真って,気持ちを本当にゆったりさせてくれます。
いろんな場所にいけなくても想像はできるのですから。
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by KATEK | 2006-12-27 16:11
今日の陽気なら,外に出なくちゃ。
あたまは,ずっきん・ずっきんっていってるけど。
まだ,外の空気には触れていないけれど,天気予報ではかなりの
あったかさになるらしい。
これを感じないでいたらもったいない。

我が家のプランターでは,植え返したチューリップがはや数本の
芽を出してしまった。
これからの寒さ,だいじょうぶかしらん・・・
わたしみたいにせっかちで,おっちょこちょいなんだわ。
去年はなかなか芽が出なくてだいじょうぶかと思ったのに。

桜もハナミズキももう芽の用意はしっかりとしている。
植物ってなんだかえらい。

そうそう。
昨日やおととい書いたわたしのブログ。
人間がまるで一つの顔しか持っていないような書き方だった。
違うのよね。
「強い」子も「悪い」子も「弱い」も,みーんな強さや弱さや狡猾さは
もっているもの。その一面だけで判断するのが一番危険なこと。
でも,短時間で「処理」するには一面しか見られない。
そのことを忘れちゃいけないって,思い出したんだ。
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by KATEK | 2006-12-27 11:02

思い出。暴力の連鎖。

「いじめ」のことが頭から離れない。

おとなしい子・何もいわない子が,善良かといえば,そうともいえない。
時には,驚くほど狡猾で,冷たい行動をとる。

腕力やことばの巧みさで教室を牛耳るグループ。
休み時間は特に,授業中も,彼らの行動がこわいグループ。

「寄らば大樹の陰」で,教室では発言力を持たない子供たちは
最初の頃,しょっちゅう担任であるわたしに,「強い」子たちへの制裁を
求めてやってきた。
「力の強い子達が好き勝手にふるまうから授業もよくきこえない。
うるさくて,迷惑だから,先生がどうにかしてほしい」と。

「どうしてほしいの?」ときくと
成績で脅すか,腕力で強制するか,ことばでいいくるめてほしい。
というのが彼らの結論だった。
つまり,自分からは「排除」できないから担任である先生は彼らを
放置せずに「排除」すべきだというのだ。
あくまで自分の手は汚さない。匿名でいたい。

力の強いグループの中の子ども数人が,別々に「弱い」子達にお金をせびる。
5円・10円・20円という単位。
ただし毎日のように,何人もから取り立てる。
「弱い子」たちは,めんどうをおこしたくないから「たった10円くらいなら」と
お金をわたす。

そういう事実が明るみに出て,力の強い,屈強な教員が数人で事情を
調べる。授業の時間を使ってひとりひとり,話を聞きだす。
そうなると,「弱い子」たちは,いっせいに被害を申し出る。
それまでは,担任の問いかけにはいっさいノーコメントだった子達。
それぞれ,「70円とられた」「210円とられた」「弁当食われた」と・・・・
誰に取られたかは明らかではない。
それは担任が調べるしかない。

盗みや授業妨害や,いろいろな事件が重なる。

もう誰が正当なのか判別はつかない。

クラスの子達みんながそれぞれの役目を果たし,殺伐とした教室を
作り上げる。

グループからクラスへ。
クラスから学年へ。
学年から生徒全体へ。
生徒から教員へ。
感情の連鎖。
もちろん反対のつながりもある。
教員の「力」による強制が,隅々にいきわたる。
感じない生徒もいる。
感じない教員もいる。
知らないふりをするものもいる。

これはわたしのちっぽけな体験で,学校すべてがこんなんじゃない。
もちろん。
でも,構造は同じ。たぶん。

今は,こんな状態のところにはいないから,わたしはわたしでいられる。
少なくてもわたしであろうと努力できる。

政治家の皆さん,識者の皆さん,
こんな連鎖をどう断ち切りますか?
子どもの声を聞け!ですか?
サインを見逃すな!ですか?

子どもとの信頼関係をどうやったらつくれるとお思いですか?
自分を壊さずに。
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by KATEK | 2006-12-26 21:19

ゴミ箱ゲーム

政府の関連団体(?)が,家庭でいじめについて注意することとして
こんなことをいっていた。(NHKニュース)
いじめの側になっていないか。ことばでチェック。
「きもい」「うざい」というようなことばをつかっていたら注意,だって。

そんなことばフツーにつかっているのに・・・
アリをみたって「きもい」。
自分たちの出したゴミも「きもい」。
教員の注意は「うざい」。

何でこんな的外れな「議論」ばかりしているんだろう。

前の職場で,忘れられないケース。
5~6人くらいの遊び仲間。
休み時間になるとじゃんけんをして,負けた子はみんなに足をもちあげられ
頭からゴミ箱につっこまされる。
頭・顔は完全にゴミの中。

あの時の私は・・・

生徒はみんな笑いながらこの「ゲーム」をしていた。
汚いし危ないからやめなさいとわたしは注意した。
そして気がつくとからだの小さいある子ばかりが,なんどもやられて
いたので,本人に「だいじょうぶ?」と聞いたり,親に電話を入れたりした。

本人は「ゲーム」だから,といってなんともないと繰り返す。
わたしはただ,その「ゲーム」をやめなさいと何度か注意しただけだった。

なんてことだろう。
ゴミの中にさかさまにされて頭を入れられる!
今考えるとこんなこと許してたのかって,愕然とする。
許してたわけじゃないけど,わたしはすでに感じなくなっていた。

いじめってたぶんある線に行くまで,「感じない」んじゃないかって思う。
ある線に行ったら,堰を切ったように膿が噴出す。
集団で感情がマヒするなかで,マヒせずに「正常」でいられる子は,ある日
そこに見切りをつけるか,違った「異常行動」をしめす。

自分のやっていることを十分自覚できれば,いまよりいじめは減るだろう。

でも,学校という圧力装置の中で,「感じる」心を持ち続けることのしんどさ。
この「不安社会」のなかで冷静に判断していくことの難しさ。
自分だけは生き残りたいと思って「くもの糸」を独占したがるカンダタに
今誰もがなろうとして・・・でもそれは当たり前のことのように思う。

今この瞬間生き残ることしか考えられないうちに,首を絞められていく怖さ。
それを感じない更なる怖さ。

わたし自身生徒をいじめることに加担していたってわからない。
すくなくとも,いじめはないとか,わたしはいじめる側を徹底的になくす
といいきれる教員を,にわかには信じられない。

自分の感受性をどこまで保てるかが問われている。

昨日からあの,「ゴミ箱ゲーム」の様子がまき戻しのフィルムのように
なんどもなんどもわたしの前に現れて消えてくれない。
いじめってなんだろうってずっとかんがえさせられる。
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by KATEK | 2006-12-26 12:38

一言。

あぁ,もう限界!!
いっぺんに「ターシャ・チューダー」の番組と「のだめカンタービレ」を
みてしまった。
わたしのエネルギーはここまで。

だから一言メッセージ。
ターシャのことば。
「努力しながら待つことね」
そうか。
ただ待つだけじゃだめだし,努力も遠くを見ないと方向を見誤るんだ。
あんなに大きい土地で18世紀調のガーデニングと暮らしぶりを
続けること。
お花畑を作るには最低12年は必要だって言ってた。

わたしも10年以上かけて壊れたもの,
すぐにもとには戻らないけど,待ってみよう。
何かを探しながら。

今日も朝の好調はちょっとしか続かなかったけれど,
それでなげくのはやめた。
テレビだってこんなに見られちゃったし。

さぁ,明日が来る。
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by KATEK | 2006-12-25 22:22