日常って、微妙な差異こそ大事かなと思います。


by KATEK
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あしたから,です。

東京新聞の日曜版のロナルド・ドーアの教育基本法に関する文章を
ここに載せようと思ったけれど,やめました。
ちょっと疲れたかも。
手術で動けなくなるのを前に,少しでもからだの新陳代謝をよくしておこうとおもって
マッサージにいったんだけど・・・
やっぱり緊張かしらん?

いよいよ明日から入院です。
手術はあさって。
当分,ブログはお休みです。

また,キーをたたく力がでてきたら,始めます。
そのときは,またよろしくお願いします。
遊びに来てくださいね。

ちょうど,去年の初夏に植えた花が,今年は種から芽を出し,いま咲いてくれています。
送り出してくれているような気がします。
がんばって早く身軽になるぞー。
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by KATEK | 2006-05-23 15:47
今日は2度のエントリー。

東京新聞に,時事通信社世論調査として,教育基本法「改正」問題についての
記事が載っていたので,ひとこと。

「愛国心」の理念を盛り込んだ政府改正案に賛成するとしたという人が
5割を超えているという。
この中には,民主党支持者も含まれる。

改正すること自体に反対と応えた人は,全体の2割弱。

そもそも,教育基本法を読んだことのある人がどれほどいるのだろうか。
せめて前文だけでも。

戦後直後,日本を「文化国家」にしようといった多くの人たちの声の中には,
教育の重要性を考え,感じた人がたくさんいたことだろう。
この人たちの息吹を感じなおすことが大事かなと思う。

そして,国の何を愛したいかだ。

伝統文化?
それは何を指すの?

稲作文化?国造り神話?わび・さび?みそぎ?仏教それとも国家神道?
江戸時代に引き継いだ儒教文化?
文楽・歌舞伎?それなら出雲の阿国のエロティシズムやかぶき方は?
山岳信仰?
やっぱり天皇制?

全然なかみのない「意見」のいったりきたりじゃないのかな?
なかみを闘わせないで決まっていく法律の怖ろしさ,なのだ。

また「超国家理論」がどろどろ活躍するのだろうか?
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by KATEK | 2006-05-22 21:12
あぁ,日差しが欲しいよー。
せっかくの,年に一回の五月なんだから。

昨日(?)hanaさんから,わたしのこと「若い方だと思っていました」なんて,うれしいこと
書かれてしまった。

相方に言わせれば,わたしは年齢不詳の「謎のアジア人」にしかみえないらしい。

高校生の頃は,40近いおばさんに思われたこともあった。
大学の頃,今の相方と夜の街を歩いていたら,
(当時相方は高校の非常勤講師をやっていた)
彼の教え子から,「先生,昨日先生がおばあさんと歩いているとこみたよ。」
と翌日いわれたそうだ。
ショック!!

そしていまや,わたしの教えている生徒からは
「先生,20代でしょ」といわれる。
たまにだけれど・・・
この件に関して,相方はリップサービスだといって譲らないが,わたしは生徒が本気で
いったものだと信じている。
いわしの頭も信心からなのだ。

30代前半といってくれる生徒も,かわいい。

実際は,人生の折り返しをすぎているのだけれど・・・

若いような若くないような,でもまだまだ若いのだ。

今日届いた母からの手紙にも,「まだ若いのだから,今を楽しんで」と書かれていて
何だかうれしくなった。

そういえば,昨日チラッと読み始めた山田ズーニーさんの
『17歳は2回くる』 河出書房新社 が,のっけからなるほどと思わせる文。

本当の17歳。ちょっと前は「危険な」「わけのわからない」などという形容詞で
語られ,事件を起こすたびに問題になっていた。
だって,17歳って,わけわからなくて当然じゃない,なんてわたしは思ってしまうの
だけれど,世間の目はなかなか厳しい。

ズーニーさんのいう2回目の「17歳」は,社会にでてから17年目をいっている。
大卒だと39歳くらいかな。
この頃になると,仕事もわかってくる代わりに,また揺らぎ始めるというのだ。
このままでいいのかという不安・・・

なるほどと思う。
わたしは,揺らいだ年月が長すぎたけれど,まさにその頃もそうだった。
もういいかげん,分別とかキャリアなんかがついて,バリバリ自己実現している頃だ
なんて一人で思っていた。
もちろん現実がそうではなかったからのこと。

いまは自己実現なんて言葉の怪しさや,若かった頃の楽しい感じも思い出して
きたから,ちょっとばかし,揺るぎから遠ざかった気がする。
ただ,揺らぎから遠ざかりすぎてしまうのは,「傲慢」につながるので,
適度な揺るぎを知り始めたというところかも。

このブログも,「わたしは社会派」なんて顔してエントリーする必要性も,あまり
感じなくなってきたし,だからといって,社会のことが目や頭から離れることはない。

人生楽しみたいと思うだけ。
ただそれを分かち合える人が,多ければ多いほどいい。
海の向こうの人でも,笑顔がいっぱいだといいと思う。
まわりの悲しみは,感じ・考えられる範囲で悲しみ
また,まわりの怒りも,当然のこととして表せればいい。

そんな感じのいまだから,年齢なんてどうでもいいや。
からださえ,ある程度動いてくれれば。
動かなくなったらそのとき,前向きに考えられるまでの時間があればいい。

なんて,ただ徒然なるままに書いた今日のお話でした。
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by KATEK | 2006-05-22 20:29

緑の中が好き

今朝の日差しはもう夏のもの。
背の高い木が日陰を作り,その下にできた緑のカーペットの上は,なんとも
気持ちよさそう。
ここでちょっとお茶と読書を,と思うくらい緑がきれいで気持ちのいい木陰だった。
こんないい季節なのに,今年は天気がいい日が続かないのが残念。

体調をいい状態にするために,野口体操のレッスンにいった。

先週は,何だかやっていて疲れが出てしまい,気持ちよさはどこにいったんだ
ってな感じだった。

今日ははじめから,「がんばらないぞー」という意気込みだったせいか,
楽勝!からだがよく伸びて揺らいでくれた。
ヨガ逆も,ただ立っているのも,同じようにずぼっとした地球とのつながり感が
あって,足の裏がぴたっと地に着く感じがした。

「まな板の鯉」状態になってきつつあるからなぁと,なかば納得。
一緒にレッスンにいた友人からも,先生からも「いい顔してるね」といわれるほど。

いまは世の中のことよりまず自分だから,迷いがない。
でもこれが基本なんだろうな。
この上にさらに継ぎ足していくことができるかどうかってことじゃないかって。

一週間の予定でお世話になる病院は,都会のど真ん中にある。
病院の敷地の中には,緑はない。
だから,リハビリに散歩といったって,病院内のお店くらいになってしまう。
去年撮った写真の中で,緑の中で相方と二人で写っているのを,連れて行こう。
ちょっとは緑の足しになりそう。
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by KATEK | 2006-05-21 17:17
昨日から読み始めた本が2冊。
どっちもおもしろそうで,どちらからと選べなくって,並行読みしている。

一冊は,山田朗 『護憲派のための軍事入門』 花伝社
もう一冊は,小森陽一 『村上春樹論』 平凡社新書

『軍事入門』のほうは,なるほどと思うことがたくさんある。

何しろわたしは機械や車や戦闘機やそういったものにうといから,軍事というと
GNPの何パーセントを占めるか,くらい(つまり経済的な面のみ)しか考える指標を
もっていなかった。

ところが,たとえばこの本によれば,「おおすみ」という輸送艦は,輸送艦と
なのってはいるけれども,湾岸戦争以後に開発されているのにつながる,海外展開
できる形の船なのだそうだ。
法律で,自衛隊が海外に出て行けるよう認められる以前に,そういう行動が可能な船を
すでに開発しているという事実。
自衛隊が,周辺有事や,集団的自衛権の行使を歓迎しているとさえ思えてしまう。

この本にはわたしの知らなかった視点でいくつものことが語られていて,
読んでみてよかったと思っている。(まだ途中だけど)

村上春樹のものは,これまた新しい視点。
『海辺のカフカ』を詳しく検証しているのだけれど,小森さんは本の中で
こんなことを語っている。

>個人的な殺人,あるいは猫殺しと,「戦争」やホロコーストが等価性の中で
>結合されてしまうのです。しかも,それを‘いたしかたのないこと‘にしてしまう,
>言葉のシステムを形成していることが,『海辺のカフカ』という小説に第二に重要な,
>言葉を繰る生きものとしての人間が作ってきた文学に対する背信なのです。

『海辺のカフカ』を読んだことのない方にはピンとこないかもしれないけれど,
この小説は読んでいると,何だか不思議と心地いいような気分になって
しまうことは確かにあるのだ。
そして,読者の圧倒的多数が,この小説を「癒し」の小説ととらえているという。

それに加えて,心理学者の大御所(だからというのもなんだけれど,
わたしは好かない人である)河合隼雄も,この本を絶賛していた。

イメージで語られてしまって,論理的には結びつかないものをなんとなく結びつけて
受け入れてしまうことの怖さを,この本では熱く冷静に語っている。

本の帯には,
  『海辺のカフカ』は<処刑小説>である!
なんて書かれているほど。

『海辺のカフカ』を読んだ方にはお薦め。

と今日はこの辺でおしまいです。
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by KATEK | 2006-05-20 21:17

ほんとに子守唄

ゆうべ,相方に「子守唄をあつめたCD買って欲しいな」と注文をだした。
ベッドの上で時間を過ごすのにぴったりかと思って。
そうしたら,相方は「?・・・・・」と,無反応。
やがて,CDの棚のところにいって,一枚のCDをもってきた。
うーん,このジャケットよく見るなぁと思っていたら,
「これ子守唄のCDだよ。」だって。

ようするに,子守唄のCDをかけても,わたしはほぼすぐに寝てしまい,
CD全部を聞きとおしたことがなかったといういつものパターンだったのだ。

ちなみに,ゆうべのことを今日になって聞いたら,
一曲目のモーツァルトの曲の間に寝てしまったらしい。
どうりで,このCD全部が子守唄だと知らないわけだ。

ベッドの上で聞くCDと本は,だいたいそろった。

あとは調子をよい状態にすること。
今日は,最近の「がんばりすぎ」でダウン。
いままで,ずっと寝ていたが,また寝よう。
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by KATEK | 2006-05-19 21:08

エゴノキみーつけた

エゴノキの下でふっと立ち止まった。
いままでと同じ場所に咲き続けていた。
でもsoroさんのブログで,これが「エゴノキ」と認識しなかったら,きっと今日も
立ち止まらずに,なんとなく見過ごしていただろう。
今にも滴り落ちそうな形の,真っ白でつるんとした蕾。
咲いている花は,ナスの花の形に似ていた。
自然の中で,白という色は,かなり地味なもので,ともすると見落としてしまいがち。
でも,よくみると,さまざまな白は造形豊かだ。
ひっそりとしながらも気品あふれる花たち。
エゴノキの下で過ごしたほんの数分は,なんだかいつもと違う世界だった。

昨日の夜,寝ながら落合恵子さんの『母に歌う子守唄』を少し読んだ。

落合さんといえば,活動家とはいわないのかもしれないが,ジェンダーに関する
はっきりとした意見を主張する人と,わたしは認識している。

その彼女が,お母さんの認知障害に付き合い,看護をする毎日を書きとどめたのが
この本だ。
お母さんは,いくつかの病気を持ちつつ,日々を自分の意志とはほとんど無関係の
ところで生きている。
落合さんは「自己決定」という発想が根底にあるから,「お母さん,何食べたい?
どんな服がきたい?トイレに行きたいの?・・・」と限りない確認と,意思表示を
求めながら,介護をしている。

でも,落合さんは言う。
「母にとって,決定を迫られることがいいことなのかどうかはわからない」

決断・決定というのはある意味,苦しみにも通じる。
何かを捨てなければならないこともあるし,責任も問われる。
だから,決定的な「弱さ」の中で生きている人のとって,決断を迫ることは
かなりハードなことなんではないかと,わたしは思う。

私自身,まだ元気な母だからと思って,また良かれと思って,今まで経験したことの
ない楽しみを探してあげようと思って,いろいろ手出しをしてしまうが,
80近い母にとって,ましてや耳の遠くなった80をもう越えている父にとって,
新しい何かを迫られることは,苦痛なのかもしれないと思う。
そっとしておいてあげることも大事かなと。

その人にとって安心できる世界を守ってあげること,
これが人間関係の基本なのかもしれないと,ふと思った。

イラクの子ども達,アフリカの少年兵たち,売春させられるアジアの少女達,
行き場をうしなった日本の子ども達にとっても,だ。

もちろん,相方にたいしても。
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by KATEK | 2006-05-18 20:04

これが元気か。

夕方,雨の中,上には樫の木,下にはツタのはえているところを歩いていたら,
何だか懐かしい香りがした。
湿り続けている土と木の香り。
こんなあたりがにコンクリートで覆われつくされていなかった時代は,今頃よくこんな
香りがしていたんだろう。
近代建築や近代都市(地方の田舎道でさえ)は,においや香りを消すやくわりを
おってきたようだ。

今日は病院を2件はしご。

気になっていた血液検査は無事OK!
糖尿病じゃなかった・・・ほっ。
ただ,血がなかなかとまらないようだ。
でも,だいじょうぶそうだから,気にしない。

ここ数日は十数年ぶりに,部屋や押入れや食器棚と気づいたところは手当たり次第,
片付けや掃除を続けている。
毎日今日はどこをきれいにしようかと,なんだかわくわく。
疲れてはいるんだけれど。

そんなことを話したら,過度のストレスがなければ元気にしていられることや,
いろんなことが楽しく感じられる自分がいるってことは,忘れないほうがいいよ
と,いわれた。
元気に過ごすことが一番なんであって,仕事はからだを壊してまでするものじゃ
ないと思うんだよね,だって。
1年前までは,元気をこんなに取り戻せるなんて思ってもみなかったし,
第一,元気な状態がどんなものだったか,思い出すことができなかったのは事実。

そうだよなぁ。
元気ってこんな状態かって,いま不思議に思う。
片付けることの段取りが,考えるでもなしに浮かんでくるのが元気なことなんだ。
料理も,段取りがつけられるってことが元気の印。

ついこの前までは,「片付けなきゃ。わー。たいへんだよー。どうしよう。だめだー。」
の繰り返しだったから。
そしてそれが,わたしだと思っていたから。

元気というものは,ただものではない。
失って初めてわかる。
元気をなくしたまま過ごしてしまった十数年。
いまから,その分楽しまなくっちゃ,もったいない。

主治医に「生還してまた診てもらいにきます」と返事してきた。
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by KATEK | 2006-05-17 21:18
文字から離れた生活をしている。
(まるっきりというわけではないけれど)
今日も片付け。
部屋が広くなった。
これで野口体操も,やる気になるって・・・か?

今日は相方の帰りが遅いので,メインには好物のカレーを作った。

いつも普通のカレールーは使わない。
鳥の手羽を買ってきてカレー粉と塩・コショウをまぶしておいておく。
(にんにくとレモンをかけるのを忘れた)
常温でなじんできた頃に,鶏肉はフライパンで焦げ目がつくくらいかりっと焼く。
これは深めのなべに取り出しておく。
油はそのままで,フライパンでたまねぎをあめ色になるまでいためる。
あとはセロリとマッシュルームとにんじんをくわえていためる。
(入れるものはその時々でちがう。キャベツだったりズッキーニだったり・・・)
そこに,お酒でといたはちみつをいれてフライパンをこそいで,全部を深鍋に。
月桂樹の葉っぱと塩を入れて後は煮込むだけ。
カレーの味が足りない分だけ,瓶詰めのペーストをいれて調整。

ところが,今日は,いい気分になってペーストを思わずいれすぎ。
辛いのなんのって!
(わたしはチョー子どもの味覚。辛いのはまるっきりだめなのだ。
これじゃわたしが食べられない)

そこで急きょ,プルーんいりのヨーグルトと,ケチャップをいれ味を柔らかに。
でも,辛いのは変わらないのだ。
しかたなく,今日は相方より先に,卵かけご飯だけいただいた。
肉じゃがとサラダとあと一品ははあとでいっしょにいただくことにする。

あぁ,今日は大人のカレーをつくってしまったのだった。
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by KATEK | 2006-05-16 20:23

片付けはいい気持ち

ちょっと疲れ気味らしい。
最近疲れているって感覚が麻痺していたようだ。
なにしろ,何年も何年もしてこなかった(できなかった)片づけをやり始めたのだから
あれもこれもと,つぎつぎと片付けたい場所が出てくる。
ちょっと片付けちゃ休み,と繰り返しているが,さすがに疲労がたまってきた。
この辺で休むとするか。

わたしの悪い癖で,アクセルがかかるとなかなかとまらない。
これがわたしの病気。
やりすぎてダウン。
いい歳なんだから,癖はなおさないとね。

ところで,教育基本法の「改正案」がとうとう国会にのぼる。

「国を愛せよ」といわなければならないほど,この国はどうにかなってしまったのだろうか。
ステートとネイションとランドの区別をすること。
これは政治をならううえでは基本だけれど,こういうことすら,はっきりしていない。

宗教など文化のまとまりで国を意識することも大切だけれど,
そもそも国なんて,人間の意志あってこそ成り立つもの。
だから,しゃにむにネイションでまとまろうとするのも,ステートを前面にだすのも
単なる手段でしかないのだから,と考えたい。

最後はどうしたら共生できるかにかかっている。

そういう意識を学校教育では大事にしたい。

教育基本法の改悪をとめよう 6.2全国集会&国会デモ が計画されている。
日比谷野外音楽堂で,17:30開場。

わたしは病院のベッドの上にいる予定だけれど,
新しい動きにつながってくれるとうれしい。

岡林信康の「わたし達の望むものは」なんて歌が,ふっと浮かんできた。
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by KATEK | 2006-05-15 22:16