日常って、微妙な差異こそ大事かなと思います。


by KATEK
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今日は食べ物のこと!

ベランダのチューリップが,風に揺れている。
もう開ききってあとはしぼむだけ。
早く花を切って,球根に栄養をあげなくちゃ。
それにしても,よく咲いてくれた。
ただ水をかけていただけなのに・・・
自然の恵にありがとうといおう。

昨日,安部司 『食品の裏側』 東洋経済新報社 を読んだ。
クズ肉ちょっとに添加物をガンガン流し込んで作ったミートボールの話や,
水と油と白い粉で,コーヒーフレッシュができるという話など,
添加物を作る側にいた人ならではの,具体的な話が興味をそそる。

そういえばおかしいと思っていたんだ。
食品に添加物の表示が義務付けられたはずなのに,前より書かれている
添加物の品目が少なくなった商品をよくみかけたから。

パン屋さんに売られているパンだって,トレイに乗せてあれば,
添加物の表示はしなくていいとか,「調味料(アミノ酸等)」とすれば
一括表示ですんでしまうとか,そんなこと言われてみれば,そういうことか
なんだけれど,気づかなかったもの。
商品の裏のラベルだけでは書ききれないほどたくさんの添加物が,
実際は使われているということ。

でもやっぱり,手作りで生活するのは難しい。
「手間をとるか添加物をとるか」を心にとどめて欲しいと,安部さんはいう。
そのとおりだということはわかっているのだ。

本の中に「まごころ基準」ということばがでてきた。
鋭いことば。
食べ物にしても,人とのかかわりにしても,「まごころ基準」というのは大事。
自分で基準を作っていかないと,ズブズブと便利ばかりを求め,手を抜いて
しまうだろう。
自分のからだに関わっていることですら,手抜きしたくなるから。

今日だって,ちょっとだるいと思うと,ごろごろしてばかり。
「こんなときこそからだを動かしなさい。」と,わたしの頭の上で,私がささやく。
でも,動けないんだなぁ・・・
ここに,ピシッとカツをいれないと!
(せめて階段だけはと思って,外に出たら階段をつかったけれど)

微妙なバランスをとりつつ,プラスマイナス0か,または0.1くらいにしたもの。

ところで,ついでに,『40歳からの元気食「何を食べないか」』 幕内秀夫 も
さらりと読み返してみた。
埼玉の帯津病院というところでも,食のカウンセリングをしたりしている
人のかいたもの。
「粗食」を勧めている。

食の欧米化にともなって,日本人の健康が損なわれてきたという。
その意味で,40代は「食の人体実験」の被験者と幕内さんは語る。
こわーい。

でも,彼は
「食事をつくらないことに罪悪感をもつ必要はない」と言い切ってくれているので
ちょっと安心。
「一日三十品目」にこだわらなくてもいいというのは,気持ちを楽にさせてくれる。

40歳の自己防衛10ヵ条とは・・・

1.朝,ごはんを食べられるような生活をする
2.夕食の時間に清涼飲料水を飲まない
3.朝・昼・晩を通してごはん中心のメニューにする
4.パンは食事にしない
5.副食は季節の野菜を中心にする
6.動物性食品は肉より魚を選ぶ
7.油のとりすぎに注意する
8.アルコールは食事に影響を与えない程度に
9.砂糖のとりすぎに注意する
10.ゆっくり,静かなところで食事をする

意志が弱いから,おなかがすいたときにケーキやまんじゅうに走るんだ
という人がいるけれど,これは当たり前と,幕内さん。
からだが要求していることなのだから,ケーキを食べる前に,ごはんを
しっかり食べておけばいいという考え方なのだ。

添加物も,ごはん中心なら減らせそうな気もする。

また時々この本を手にして,ベターをめざしたい。

明日・あさってはお休みします。
みなさん,よいゴールデンウィークをお過ごしください。
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by KATEK | 2006-04-28 17:54

変わった相方

昨夜,やっとコルトレーンの『バラード』を聞いた。
時間をずらせて,2度聞いたのだが,どちらも,途中でうとうとしてしまい,
まだ全貌は見えていない。(?)
soroさんがブログで話されていたとおり,θ波が,でてきたのだろう。

わたしは音楽によく反応するのか,何度聞いているにもかかわらず,まだ,
「今日初めて聞くね」と相方にいって,笑われるケースが多い。
「もう何度も聞いているよ」と。
聞いているとすぐにすやすや寝てしまうので,いつも新鮮なわけ・・・
いい音楽に限ってそう。響きがからだを直撃するのだ。
相方のする電気や音(まぁ物理的世界というのだろうか)の話にもよく反応する。
聞きはじめて数分であくびがでてくる。
わたしのからだは正直だ。

話をコルトレーンに戻すと・・・
コルトレーンというと,わたしは激しい音楽というイメージができあがっていた。
昨日聞いて,「この曲知ってるけど,これがコルトレーン?」と思わず
つぶやいたほど。

管楽器は特に,小さな細い,けれどもしっかりした音を出すのは難しいのでは
ないかと思うのだが,さすが,コルトレーン。
つぶやくような,そっと話しかけるような音が心地よく響く。
これじゃぁ,寝ちゃうわけで・・・

ところでこのCD。
実はやっと昨日届いたのだ。
2ヶ月前くらいに注文しておいたのが,なかなか来なくて,別のところに注文
しなおしたとか。

先日,soroさんのブログを見て,すぐに,相方に尋ねた。
「家にあるコルトレーンのCDに,バラードはある?」
そうしたら,注文してあるという返事が返ってきたわけ。

なにしろ,相方は徹底した経済人だ。(合理的選択をするという意味で)
かなり欲しくとも,値ごろ感がでるまで絶対,ものは買わない。
そしていまや,相方の買うCDの単価は約700円にまでなっている。
今回のコルトレーンのCDは,廉価版になったからすぐに注文したものだとか。
でも,彼にとってこのCDはまだ「高い」もの。

というわけで,わたしはいまやCDは,相方に注文しておくことになっている。
安いものを徹底して探し出すか,なければ待つかして手に入れる。
ただわたしのものは,少し多めに見てくれて,ちょっと高くても注文してくれる
のだが,それでも安いので,ため息が出る。

それに,(話は流れる)
「バラード」といった瞬間に,「バラードというのは挽き歌のことだからね。」と
相方は説明し始める。
「挽き歌?」
「棺を引きながら歌う歌のこと」
知らなかった。
調べてみると,中国で古い時代にそういう習慣があったのだとか。
いまの解釈は,フランスに端を発した物語風の音楽ということになっているようだ。
「いつごろからそんなこと知ってたの?」とびっくりするわたしに
「うーん。昔から」と応える相方。
もう知り合ってから20年以上の時間がすぎているのに,
私の知らない世界が相方にはいっぱいあるようだ。

自分の世界があるというのはうらやましい限り。

と今日は少しはめをはずしすぎたかな?
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by KATEK | 2006-04-27 20:44

びびる

今日は手術前の最終検査を受けに病院にいってきた。

耳をちょっと切って血がどのくらいの時間でとまるか,というチェックでは
なかなか血がとまらず,ひやひや。
第一,ちょっと傷付けられるときにだって,痛いと思ったと同時に,あたまに
ガガーンと響いてしまって・・・
いま神経過敏状態。
近づいてくるとやっぱり,気が小さくなってくる。

気持ちが落ち着くかなと,『季語集』などをめくってみる。

風車,風船,シャボン玉,ブランコなど,風に親しむものが春の季語だそうだ。
風にゆらゆらする感じっていいなぁ。
本には「春の伝統的な玩具は,春風をとりこんでいる,と言ってもよさそうだ。」
と書かれていた。
風船は明治時代,シャボン玉は江戸時代から親しまれてきたというから
子ども達の遊ぶ様子を想像すると楽しい。

そういえば,わたしの大好きな矢車草も,近くの畑に咲いていたっけ。
そこにあったのは,青い矢車草。
線香花火を花にしたような,花びらがすずしげ。

今日は何だか疲れてしまったので,明日はゆっくりしたい。

hanaさんやpianocraftさんのブログに出ていた『食品の裏側』という本は
確かに授業に使えそう。
明日めくってみようかな。

それから今日はチェルノブイリ事故20年目の日。
事故のあった次の日にやった授業のことは,よく覚えている。
私はかなり興奮していた。

ところで,いまEUでは,いままでの「原発は廃炉の方向へ」というのを転換し,
温暖化対策のためと称して,また原発を作る方向に動き出したそうだ。
日本では,原子力を専攻する学生も減ってきて,廃炉のことを含めて政策を
科学的につくるだけの学問がおいつかないらしい。
高木仁三郎さんがなくなってしまった今,誰の話を聞いていけるのか・・・
難しい問題をかかえてしまった。
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by KATEK | 2006-04-26 19:12
春というと,つい うららかな という形容詞で考えてしまうけれど
実際は,雨が降ったり急に冷え込んだりと,なかなか安定しない天気の日が
多いのだ。毎年,春になってやっと気づく。もう何十年と経験していること
なのに・・・

トチノキに花がついていた。
藤の花をさかさまにしたようなとんがった様子をしている。
ついこの間,葉っぱが出てきたばっかりなのに,気ぜわしいこと。
でも,これが植物の時間なんだろう。
年々変わっていく気候に,うまく対応していこうとしているに違いない。

去年心配していたケヤキの木も,葉っぱをきちんとだしてくれた。
でもちょっと葉っぱのつき方がおかしい。
一部の枝には,異常に葉っぱがついている。
どうしてだろう?

今日は「今日が一番いい日」ということばにであった。

吉沢久子(?)さんの本から。もう80歳を越えているけれど,元気に暮らしている。
いつでも,「今日が一番いい日」と思って過ごそうと考えているという。
ことばでは簡単だけれど,実際どうしたらいいのかって考えると,ごうつくばりな
わたしは,あれもこれもと思ってしまいがちだけれど,たぶん違うんだな。

たとえばベランダのチューリップとゆっくり過ごせたら
ゆっくり,よくかんで,おいしいご飯を食べられたら
誰かと話してゆったりできたら
そんなことが一日にひとつあれば,それでいいんだって気持ちになれれば・・・

前に読んだ『今日は死ぬのにもってこいの日』という「インディアン」の書いた本も
何だか読んでいて気持ちよかった気がする。

ていねいに,でもいろんなことをしながら,頭だけではなくからだを動かしながら
毎日を過ごそう。

近いうちに,実家からおくってもらったラディッシュとミニ大根,矮性コスモスの
種をまこう。
想像するとおいしくなる。
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by KATEK | 2006-04-25 19:02

舌がぶよぶよ

ここのところ,からだがはれぼったい。
耳も過敏になっていて,音が反響してしまうから,音が痛みに変わる。
舌は大きくなって,歯型がついている。歯があたって痛い。
こんなに変な感覚になるのも,天候のせいか。
今も外は変な空気が漂っている。
なまぬるくて,よあけのような空の色。どんより。

今のからだの状態は,東洋医学でいうところの「血・水」の滞りだろう。

からだは,三つの要素から動いていると,東洋医学では考える。
「気・血・水」の三つだ。
「血」はそのとおり,血をあらわす。リンパ液もここに入れるという考えもある。
「水」は,からだに摂取する水分や,細胞液など。
「気」は,元気の「気」・やる気の「気」。生まれながらにしてもつ「気」と,
生まれたあとに取り込む「気」とがある。呼吸で取り込むばかりではなく,
食べ物からも,運動からも「気」は入ってくる。

この三つが十分にあって(ありすぎはよくない),バランスが取れている状態が
健康なしるし。もちろんあるだけではなく,からだの中でよく動いていることが
重要だ。
足りなかったり,どこかで滞っていると,からだに不調をきたす。

社会人になって1年目。
卒業した大学の医学部に「東洋医学研究会」というのがあるということを
友人から聞いて,ときどきその顧問の先生(鍼灸・内科のお医者さん)に
鍼灸を教わりにいくようになった。
中国の鍼灸ではなく,日本の古学による鍼灸のほうを教わった。
その頃は,東洋医学の本を結構読んだものだ。
今ではすっかり忘れてしまっているが・・・

問診・舌診(舌の様子を見る)・脈診で,からだをみる。
それから,からだのつぼの様子(経絡と呼ばれるからだのつながりから)を
みて,はりをうったり,お灸をすえたりするわけだ。

自分自身のからだがおかしくなってから,2年間,エキス剤を使ってだけれど,
漢方でなおしていくという方法を選んだことがある。
結局,通っていた漢方のお医者さんと考え方が合わなくなって
(私は西洋薬との併用がいいと考えてそうしていた。それが,その医師には
不満だったらしい)
漢方薬とはさよならした。

考え方を大事にして,目の前の人のからだとこころを大事にしないという
のは,さかさまだと思って。

西洋医学も東洋医学も,理論は大事。
でも,理論倒れになることは避けてほしいもの。

なんて思いながら,自分の舌を見るここ数日なのだ。
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by KATEK | 2006-04-24 18:02

映画『マラソン』

DVDで映画『マラソン』をみた。

韓国の自閉症の少年が主人公。
忍耐力をつけさせるために,母親は息子にマラソンをやらせてきた。
10キロマラソンでは3位をとれるようになっていた。
次の目標をフルマラソンにおいたことから,話が展開していく。

母親の息子に対する愛の形が問われていく。
ジャージャー麺やチョコレートパイや,あるいは母親のほめことばをご褒美に
長いこと走ってきた息子。

さらに走らせるために,息子の学校に偶然来ていた元マラソン選手に,
指導をお願いする。
元マラソン選手は,酒酔い運転の罰として,何時間かその学校で生徒の指導を
しなければならなくなっていたきていただけだった。
無気力になっていた彼。
最初,彼はマラソンを教えることにまったく乗る気ではなく,単に時間消化の
ために引き受け,主人公の子とは向き合わなかった。

でも,無心に走りたがる主人公の姿,話が通じ合わないからこそ感じる何かに
だんだんひかれ始めた彼は,長い時間をかけた末,やっと主人公の子と
一緒に走る決心をする。

いっぽう,母親は,
そこまで育てる間に,家族を半ば失いかけていた。
父親は長いこと家に帰らないようになり,次男(健常者)は,「僕のいうことは,
今まで一度だって聴いてくれたとこがなかった」とつきつける。
そして,あることをきっかけに,自分が息子を走らせてきたことに,後悔の念を
抱き始める。自分のしてきたことがわからなくなってくる。

母親の自閉症の息子にかける愛と,元マラソン選手の主人公に向かい合い始める
までの過程が,ぐぐっと迫ってくる映画だった。

愛なんて簡単に言葉を使ってしまうが,そんなに事は簡単じゃない。
息子を捨てたくなる気持ち,お菓子で釣りながら山歩きを続けさせるほど
息子の「教育」にいれあげる気持ち,息子が死ぬまでいき続けなくてはという
必死の思い。

わたしだって,気が長いほうじゃないから,生徒との付き合いにうんざりして
もういやだって投げ出したくなることはしょっちゅうだった。
でもそれだって,たった数時間のこと。一生付き合うわけじゃない。
一生の人間関係を考えたとき,私があの母親だったらどうするか・・・

たぶん,がんを宣告されてからどう生きるかってことにもつながるものだって
気がしている。

自閉症の「烙印」を押された主人公自身のこと。
自閉症だからといって,それが彼にとってどういうものなのかは,
本当のところ,周りの人にはわからないのかもしれない。
それを,こういきさせるべきだと決めてかかることの是非。

いまのところ「部外者」のわたしには,責任をもって語ることは何一つできない
そんな気がするけれど,
ともかく映画の終わり方は,気持ちよかった。
みんなの生き方が,解放に向かった様子だったから。

あっという間の2時間。
またみながら涙が出てしまった。

考えると難しくなるけれど,今日は感動だけもらっておこう。
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by KATEK | 2006-04-23 21:58

言い訳。

ここ二・三日なぜかブログを書く気持ちが萎えている。

読んだ本のこと,今まで聞いてきたこと
そんなことを書いてどうなるんだろうって,ちょっとばかりむなしさを
感じているから。
知識のお披露目みたいなことして何になるんだ?っていうこと。
わたしの場合は,知恵・智慧にはつながっていかない気がしてきたから。


テレビにしてもそうだ。
昔,といってもテレビをまぁまぁ見られた極最近まで,テレビを何気なく見ていた。
疑うよりも,ただ好きで,あるいはなんとなく・・・

最近,元気が出てきたせいか,ちょっと疑ってみることができる余裕も
でてきたようで,このドラマはこの先こうなるんだろうから,とか,
この言い方はおかしいとか,そんなことをいちいち思いながら,でもそれでも
「楽しく」見ている自分がいる。

相方のようにすっぱりと,「作り物」には興味がないといえるようにまでには
ならないし,「つまらない」ドラマでも,涙してしまう私。
いっぽうで,こんなことで涙を流して恥ずかしいと思えてしまう私。
これじゃぁ,テレビ局の思う壺じゃないってどこかで私が言っている。

そして,わざわざ「つまらない」って言い訳を書いてる私。

何だか往生際が悪い。



ブログには
もっと,何か違うものを書きたいようなのだが,それがわからない。
つかめない。

だから最近の私のブログは,たぶん納得いかないことで,埋まっているし
これからも埋まっていくだろう。

これも言い訳で書いた次第。
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by KATEK | 2006-04-22 23:17

寝続けた。

今日はポッカポッカの天気のはずだったのに,あんまりぱっとしなかったな。
そんなこともあってか一日頭痛。
今まで寝てしまった。
こういうときこそ,自分の感覚を楽しむなんてことをしてみたらいいんだけど,
それもパス。
怠惰な一日。
そんなふうなので,今日はパスです。
つまらない報告でした。
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by KATEK | 2006-04-22 21:31

今日のできごと

今日は空が高かった。
日差しは夏のもの。
まるで入道雲のようなモコモコした雲もでていた。
さっぱりした気持ち。

でもそれがたたって,少々運動の負荷をかけ過ぎのような・・・
すでに足が重くなっている。
ただ,台所に1時間たってごそごそ夕飯の支度をしていたら,
何とかクールダウンになったようだ。
それで,できたものは??

なんとも味のぼけたカルボナーラ風マカロニ。

脂肪分を控えようと,鳥のささみをオリーブオイルで焼く。
そこに添えたのが,インゲンとエリンギ。
それがたくさん出来たので,一部をマカロニとホワイトソースで一緒に
煮込んだわけ。
栄養と,何かががたりないとおもって,じゃがいもや大豆もいれてしまった。
そこに卵。だからボケボケ。
それもたくさんできちゃった。

一度に二品出来たのだが,なんだかぱっとしないなぁ・・・
わたしの性格を料理は正確に反映している。
今日も帰りの遅くなる相方を,思い浮かべながら作ったんだけど,ナ。
きっとまたご批判いただくことになるだろう。

あとはサラダなどでごまかす。


ところで,
DVDの,「マザー・テレサ」をみた。
最初のほうのシーン。
修道院を出たテレサが,カルカッタの駅で倒れた男性と出会う。

駅を降りた瞬間から,「ギブ・ミー」「プリーズ」と手を出すたくさんの人たち。
それをかきわけ,次の列車に乗ろうとしたところ,その倒れた男性に会ったのだ。
彼が,テレサを手まねきして呼んだ。
彼に近づいていくテレサ。
ここでテレサにかけられた言葉も,「ギブ・ミー」だった。

眉間にしわを寄せ,男性の前にひざまづくテレサの顔。
オリビア・ハッセイの演じるテレサは,慈愛に満ちながらも,困惑と悲しみとに
打ち負かされそうな感情がにじみ出ていたように思う。

そこから先は,テレサの生涯をざっと描いたもので,どんどん時間がすぎて
いった。強いテレサ。

あまりの強さに対して,私はしりごみしてしまう。
そんな中で,最初の悲しみに満ちた顔は,わたしもどこかで共有できるかな
と,そんな気がした。
「プリーズ」と手を出すたくさんの子どもや大人の前で,わたしだったら
何ができるだろう・・・
全員に与えることはできない。
だから誰にも何も与えられない。

テレサは,スラムを選んだ。
死に行く人・「らい病」者・親と家のない子どもを選んだ。

わたしも,選ばなくてはならないことは確か。
選ぶということ,それを実行するということは,なんと,厳しいことかと思う。

そのためにこそ,私自身が,元気でいたい。
テレサはそんなことさえ考えなかったけれど・・・

これを契機に,菅原伸郎『宗教の教科書12週』トランスビュー を読んでいる。
信仰について考えたい。
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by KATEK | 2006-04-21 20:51

この曲は・・・

昨日,今日と聴いた歌の詩。

 南部の木々は 奇妙な果実をつける
 血が葉をぬらし 根もとにしたたる
 黒いからだが 南部のそよ風にゆれる
 奇妙な果実は ポプラの木からぶらさがっている

 すてきな南部の のどかな風景
 飛びでた眼球 ゆがんだ口
 マグノリアの花の香りは甘く,みずみずしい
 するとふいに鼻をつく 焼けた肉の臭い!

 ここにあるのは カラスがついばむ果実
 雨にうたれ 風にさらされ
 日差しに腐って 木から落ちる
 ここにあるのは 奇妙で苦い作物

ビリー・ホリデーの「奇妙な果実」。
ともかくビリ-・ホリデーだ。
あの声,あの歌い方・・・


 あなたに 聞いてもらいたい
 あなたに 読んでもらいたい
 あなたに 歌ってもらいたい
 あなたに 信じてもらいたい
 一本の鉛筆があれば
 私は あなたへの愛を書く
 一本の鉛筆があれば
 戦争はいやだと 私は書く

 あなたに 愛をおくりたい
 あなたに 夢をおくりたい
 あなたに 春をおくりたい
 あなたに 世界をおくりたい
 一枚のザラ紙があれば
 私は子どもが欲しいと書く
 一枚のザラ紙があれば
 あなたを返してと 私は書く

 一本の鉛筆があれば
 八月六日の朝と書く
 一本の鉛筆があれば
 人間のいのちと 私は書く

これは,クミコという人の歌ったCDから。
もともと美空ひばりさんが,1973年の広島平和音楽祭で
歌った曲とのこと。
でも,初めてクミコさんの歌うこの歌を聴いて,なんてじょうずなんだろう
と思った。
歌い継がなくてはという彼女の言葉が歌になっている。
クミコさんという歌手は,シャンソンを歌う人。
今度はほかのCDを是非聞いてみたい。
この曲のほかにもいい曲がいっぱい詰まったこのCDは,
「わが麗しき恋物語 クミコ・ベスト」。

今日はちょっと頭が痛いので,簡単。
 
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by KATEK | 2006-04-20 21:24