日常って、微妙な差異こそ大事かなと思います。


by KATEK
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ナラ・レオンのボサノバを聞いている。
ボサノバは冷房のかかった部屋には似合わない。
昼下がりのけだるい感じのなか,ボーっと聞くのがよさそうだ。
でも,彼女の声はボサノバにしてはせんがしっかりしていて,夜聞くのも
またそれはそれでいい。

夏といえば,わたしにとっては『怒りの葡萄』(スタインベック)と,なぜか
ドゥービーブラザーズの曲。かわいた大地の風と土ぼこりを感じる。
そして,はっぴぃえんどの『風街ろまん』
でも明日からは9月だ。

田中一村の画集を見た。
圧倒される大きさ。息が詰まるほど。
これが実寸だったらと思うと,迫力にかなわないだろう。
わたしの背丈ほどの絵が,前面余白なく描かれていることになる。
日本画の余白はもうない。

日本の文化の中にある「間」という感覚。
それは何もないのではなく,作られた余白。
西洋の絵にはないもの。もちろん音楽にも。(現代音楽は別)
一村の絵は,すべての部分が考え尽くされえがかれているが,日本画の
特有の遠近感のとり方も残されていて,なおさらメッセージ性が強く感じられる。

鳥の眼は生きて,まるで一村がそこにいるようにこちらを見つめている。

彼の千葉時代の風景を描いたものは,郷愁を覚える。
あぁあんなふうな景色だったなと。
でも色彩や構図はすでに一村のものだ。

余所見をしないで打ち込めるものがあったら,と時々贅沢に考える。
わたしの視点は定まらない。
政治やこの世の大状況なんて,わたしには不向きなのだ。
どこかに無理が出てくる。

『沖縄のことばと文化』」中公文庫
高見順『敗戦日記』中公文庫に目がいった。
沖縄のことばはおもしろい。
本当に根っこのないわたし。

昨日のサラリーマントークは,原稿にして,売ること・売りつけられることの
過程の分析と検討の題材にしてみたい。
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by KATEK | 2005-08-31 23:04

またか!

へこんだ,と今の人たちは表現する。
落ち込んだというと暗いとみなされてしまうからだそうだ。

それならわたしはちょっとダウンしたっていおうか。

昨日仕事場にきたセールスマンとのトーク。
なんといおうか,わたしは上手な断り方とかキャッチセールスの怖さとかを
伝えていく人のはずなのに,実際はぜんぜんダメ。
気づいたら,どんどん相手に自分の情報を伝えちゃってるし,
セールスマンの「自分のダメさやたいへんさの告白」に,すっかりのっちゃって
同情しちゃうし・・・
同じ病気にかかったっていうことばに,すぐ反応しちゃったりして・・・
いつの間にか相手から「お友達になれてよかったです」なんてことまで
いわれちゃうし。

あぁなんて情けない。
セールストークに気をつけようと思っていても,「フンフンこれがセールストークだな」
とは客観的に聞けないのだ。
人につけこまれるのがとってもうまい,なんてことは優しいってことなんかじゃなくて
判断ができないってことだから。

前も田舎から来たって言うおばあちゃんのことばにだまされて
たかーい鉢物(観葉植物)を買っちゃったことがある。
「またきて世話するからさ」なんていわれて。
もちろんきやしない。
あの時は若気の至りですんだかも知れないけれど,いまとなると・・・

だめだめだめよ,わたしって,
なんです。
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by KATEK | 2005-08-31 19:37

もう限界かも

ちょっと頭がパニック。

ある人から琉球の歴史についての本が必要と聞いて,
家にある本(本の装丁とか大きさははっきり覚えている)を探したら
見つからない。
歴史もいいけど,文化も大切だな。
あっ。島唄のCDがあるな。この場合の「島」とは地域のことを指すな。
すると地域の差別構造のことを伝えなきゃ。
宮沢和史の「島唄」が世界的に受け入れられてきている現状も
彼の初期のまだ自覚のないときの歌声と,「島唄」の意味を考え出してからの
歌い方の違いも知っているといいな。
ギムジナーの話や絵本もつかえるな。
映画も『ウンタマギルー』とか『ホテルハイビスカス』とかいいな。
とかとか,勝手に頭の中がまわり始める。

そして・・・
けれど本の山をひっくりかえしていたら,読まなくちゃ・読みたいって本が
あまりに多いことをあらためて認識した。

知らないことが多すぎる。
知りたいことが多すぎる。

子どもの社会状況・精神社会・子ども文化・子育ての文化
世界の現状・日本の政治のゆくえ
アジアの歴史・日本の歴史
権利の考えかた・民主主義のありかた
原爆・戦争・テロ
スローライフ・しあわせについて
労働問題・ニート・自己実現・ワークシェアリング
北欧の社会保障
人間を語る映画や詩や文学や音楽や絵
もっともっと

一部屋埋め尽くした(ほかの部屋にもわんさか)本の前で
座り込むわたしでした。

こりゃいかん。
頭の中をもっとシンプルにしなくちゃ。
そのうちつぶれそうだ。

熊谷守一の絵のシンプルさ・うまさ=へたさ,のびのびとした感じ,それに
田中一村の絵の緻密さとつきつめかたと
どちらもほしがるこっけいなわたし。
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by KATEK | 2005-08-30 19:36
夕べはなんだかんだいって,『優しい時間』というドラマを
見つづけてしまった。
あの主人公の父親の息子を演じている,二宮という青年は
映画『青い炎』の主人公として出ていた。
この映画もまた悲しい子どもの役。
何かの中毒で寝たきりになっている父親を殺し,自らも自転車で
トラックに突っ込んでいって終わるというもの。
でもあの青年の演技は好きだ。
もくもくと何かに向かっている姿がひたむき。

いつも文句を言いながらも,ドラマにははまってしまうわたし。
そんなわたしを相方はなかばあきれてみている。
文句いうなら見なければいいのにって・・・
そうなんだけど・・・!
きっと続きをまた借りるだろう。

さて今日も仕事だ。
戦争を夏という季節に取り上げることへの嫌悪感が今までは強かった。
けれど,そんなことはいっていられない状態,と思い始めた。
簡単に,事実と情動を分ける作業を進めていけばいい。
『未来をひらく歴史』という,日中韓3国共同で作られた近現代史の本
これを資料にしていくことを考えている。

そういえば昨日の党首討論会はひどかった。
あれは討論ではないもの。
大人のあんな姿を見ていれば,子どもにいくら民主主義は討論の過程が
大事って伝えてもむなしい。
でもあの姿を批判することだけを伝えていても仕方がないわけで。
民主主義を語るなら
やはり,シーハンさんの行動や考えを伝えることの方に意味がありそう。

ソローの『一市民の反抗』も参考になりそうだ。
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by KATEK | 2005-08-30 06:22

ドラマ『優しい時間』

晴れた空の中に,ピンク色の芙蓉の花を見た。
黄緑色の葉が,まだ夏の顔をしている。
電車の窓から見えた空はもう高く蒼くなり始めているのに。

『優しい時間』というDVDを借りてきた。
前にテレビドラマでやっていたもの。
そのときは,『北の国から』のイメージから,もういいかなって思って
ぜんぜん見なかった。
そのあとで知人からよかったよといわれたので,借りてきたわけ。

なぜ,あのドラマに出てくる人たちはみな「やさしくて」「かなしい」のだろう。
そして人がよく死んでいく。
別れていく。
もちろん出会いもあるけれど。

人は死ななくては,あるいは何か事件が起こらなければ
優しくなれないのだろうか。
深く人を愛することができないのだろうか。

もっと怒りや憎しみや,あさましさやえげつなさや,きたならしさや
反対に滑稽さや,ばかばかしさや,そんなことの中で生きている。

優しく穏やかに,けれど悲しみを心のそこに沈めながら生きていく姿は
うつくしい。
でもそんなにかっこよくは生きられない。わたしはの話。

確かにわたしも事件を抱えてきた時間だけ,優しくなった気がする。
それは自分に対して。
やっと自分の今に「これでいいよ」っていってやれるようになりつつある。
でも,できればあの時代は避けてとおりたかった。
いまは,もっと元気でいられたかもしれない。
ただ,しんどかったから休んで,しんどかったことがわかるようになったというだけ
かもしれない。
優しくなるために,つらさを引き受けたいとは思わない。
楽しく生きたい。
のんびり生きたい。

戦争しか知らない子どもたちは,しあわせを知らないのでは?
原爆で生き延びた人は,それ以降の人生やさしくなれなかったのでは?
愛情を受けずに育った子どもは,愛を知らないのでは?

どうしたら,しあわせにそして優しくなれるのだろう。

こう書いているわたしの横には,洗濯物ののやま。
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by KATEK | 2005-08-29 21:53
今日はひさしぶりに混んだ街中で買い物。
イヤリングのパーツなどちょいと仕入れてきた。
でも・・・あぁ疲れた。
なんせ埃っぽい。
滝の近くでイオンをたっぷり吸い込みたい気分。
それよりなにより,奄美に行きたいなぁ。

田中一村という画家の絵を見たいから。
そして一村の描いた自然を見たいから。

東山魁夷の描いた緑や青の木々(森)はとっても有名だけれど
私はなんだか薄っぺらい感じで好きではない。
田中一村も,奄美の地で新聞に載っていた魁夷の絵をかなり批判したという。

それは彼の絵を見たら納得できる。
田中一村の絵にこめられた「なにか」は,本の口絵を見ただけでも
感じることができるもの。
アカショウビン(鳥)のようす。
おおい茂り重なり合うさまざまな植物の生命力・鋭さ。
そして深い深い色。
淡くても深みがあるのだ。
構図のうまさ。読み込むための構図になっている。

ぜひぜひ,ネットで検索してみてください。
すてきなページもありました。

ついでにこんなイヤリング作ったりしています。
またつくろうっと。

e0046083_21341750.jpg
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by KATEK | 2005-08-28 21:34
ところで,わたしの姿。
『気分は形而上』の漫画に出てくる「ヨシエさん」のように,「かがみもち」
である。
行動原理は,実家にいるときに飼っていたブンという名の犬といっしょ。
そして心理状態は,ハムスターと同じ。

ブンという名前は当時読んでいた,井上ひさしの『ブンとフン』からきている。
突然我が家に迷い込んできた元気な犬を,そのまま飼いだして,
ブンと名づけた。
初代ブンは利口な犬だった。
でも3代目になると,だんだんボケ犬になってきた。
もちろん,だからといって嫌いなわけではなく,共に暮らしていた。

その犬は,食パンをあげると,2枚くらいはあっという間にたいらげた。
そしてまだまだくれと要求する。
しかたないなと思いつつも,放り投げてやると,今度はちょっとはなれたところに
埋め始める。そしてまたくれと要求する。
これを3回くらい繰り返す。と,やっと落ち着いてきて鳴きやむのだ。

しかし,このパンを掘り返して食べている姿は一度として見たことはない。
そうなのだ。ブンは,埋めたことを忘れている。

この行動パターンは,わたしに似たのか,それともわたしが似てきたのか
今となっては定かではない。
けれど,今のわたしはまさにブンと同じ。
食べ物であろうが,洋服であろうが,本であろうが,すべてにおいて
一度しまってしまうと,その存在をすっかり忘れ,また買いにはしる。
こうしてわたしの散財はつづき,かつ家の中のエントロピーは増大しつづけている。
ようは散らかりっぱなしということ。
(この行動に対し,経済観念の発達している相方は,うんざりしている。
そして,積まれた本の値段と,マンションのつぼ購入単価を比較して,わたしの
行動がいかにばからしいかを,こんこんと諭すのだが一向に効き目がない。)

そして,ハムスター。
わたしはときどき「ハムちゃん」と呼ばれる。
ハムスターは,ものを食べていても,ちょっとした刺激に反応し,
そちらを思わず見てしまう。
と,今までやっていたことをすっかり忘れ別の行動にうつるらしい。
鳥は,三歩歩くと忘れるというが,ハムスターは瞬間で忘れるということだ。
わたしの記憶力はハムスターなみ。
あれっと思うと,次には何をしていたのか忘れるし
気を引かれるものがあると,今までやっていたことをすっかり忘れ,瞬間かたまる。

こんなわたしを,相方は「動物的」といって,許してくれる。
「ねこに説教してもしかたないでしょ。」と・・・
わたしの相方は,実によくできた人間だ。
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by KATEK | 2005-08-28 06:10
最近友人にすすめられた漫画のテレビ版を見た。

「落ちこぼれ」(なんて今は死語かも)の通う私立学校の生徒が
東大を目指すってものだ。
そこでは,「勝組」ということばが何度もでてきていた。

わたしは「強くなれ」というメッセージが嫌いだ。
だいっ嫌い!

別の番組でも,「いじめ」の「現実」に「直面させる」ことで
あるいは,大人社会の実態を知らせることで,「強く」「自分から」「生きのこる」
すべを身につけさせるという教員と子どもを描いたものもある。
でも,本当?

(相方にいわせると,君はその裏返しで,やっぱりある種の「勝ち」を
意識しているということ。実はそのとおりで,今までの生き方が競争に
さらされ,その中でびくびくしながらも何とか首をつないでいるのが
実態だと思っている。
最近こそは見なくなったが,試験の会場で,まっしろな
自分の答案用紙に焦っている夢をよく見たものだ。)

「弱くていい」とは思わない。
しなやかさやしぶとさは,人間が生きていくひとつの知恵だから。
そういう強さはほしい。

けれど,競争して勝ち残っていくという今の世の中の価値観
ただひとつの物差しで人を計ってしまうというおかしさが問題。

「学力」の低下に対応して全国一斉「学力」テストの実施も決まった。
昭和30年代の「学テ闘争」はなんだったのか。
今の報道はあのころの教員の行動が,馬鹿らしいものだったかのように言う。
けれど,「学力」とは何かという根本が語られなくなった今,
あのころの論争に耳を傾けてみてはどうだろう。
イデオロギーではなく,「教育」を語る土壌は今よりもあったのでは?

わたしは,北海道にある「べてるの家」というところをよりどころとして
生きている人たちの生き方が好きだ。
彼らの多くは,統合失調症で世間からは「マイナス」の烙印を押された人たち。
でも,彼らは,自分たちの「弱さ」を共に語り,補い合うことで「強さ」を
獲得して生きている。
「弱さ」を認め合いながら,スローペースで生きていける世の中で,
私はいきたい。
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by KATEK | 2005-08-27 18:45

不思議なご縁

ブログのタイトルを変更します。
今度は風を感じてです。
検索するときはそのタイトルでお願いします。

昨日は,hanaさんのページから高倉健さんの本のことを知り
無性に読みたくなって,早速図書館に向かいました。

『南極のペンギン』『旅の途中で』の2冊を見つけたので読んでみました。

2冊の語り口調は違うのですが,どちらも丁寧で,健さんの考える速度を
感じとても気持ちよくなりました。
思わず涙が出るところもありました。
(電車の中だったのでちょっと困りましたが)

おそらく社会に対する考え方はかなりわたしとは違うのでしょうけれど,
健さんの人に対する深い思いと,自己研鑽の態度は魅力的です。

仕事で南極をはじめさまざまなところに行って,さまざまな人との出会いがあって
とくに,その社会の中で「はしっこ」にいる人へ限りなくやさしく,そして学んで
くる姿は感動的です。

読んだらすぐに,そこに載っていた本(hanaさんのおすすめでもある)
『アダンの画帖』ついでに『「無言館」ものがたり』まで手に入れてしまいました。

それが不思議な縁で,8月に知人からもらった絵はがきがとってもすてきで
「わぁすごいなぁ」と思ってました。まさにその絵が,この『アダンの画帖』の本に出てくる
田中一村の描いた「奄美の杜」だったのです。

ゆうべ途中まで読みましたが,こらからが奄美での生活の話になります。
ハンセン病の少女との話も出てくるのでしょうか・・・
楽しみです。

本当は,仕事で読まなければならない本だらけなのですが,
今日は,田中一村にします。
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by KATEK | 2005-08-27 05:08

とおのく至高の味わい

わたしって,本当はスローライフをめざしているんだけれど,
今日もまた,やってしまった。
こう書いてしまうと,相方に情報がばれて,「甘いもの禁止」の
おことばをいただくことは目に見えているのだけれど・・・

図書館に行く途中,のどが渇きそうだったので,飲み物を求めて
コンビニにはいった。
ペットボトルのコーナーまでにたどりつく途中に,なんとデザートコーナーがある。
これは明らかにコンビニのまいたエサのようなもの。
賢く,かつ自分のからだを大事にしている人なら,こんな誘惑なんて
ちょろく避けられるはず。

けれど,けれど,わたしは「よき」消費者であって,
「これはどんな味なんだろう・・・」と半分よだれもので,手にしてしまったのだ。
手にしたものはなかなか離さないのが,これまたわたしの癖で・・・
(最近は,相方の前ではもちろん,一人でいるときも,「離す」努力を
してはいるのだけれど。)

図書館の前のベンチで,がつがつといってしまった。

これがまたわたしの情けない癖。

スローライフは,すべてにおいて「味わう」ことが大事。
というか,それが楽しみにつながるわけだ。
なのに,なのに,口に放り込むことを何故こんなに急ぐのか・・・

そう。ひとつは,コンビニで売られているものがそんなにおいしいはずがない。
味わう以前の問題だ。
それがわかっているのに,商品を前にすると頭真っ白。

相方がときどき金曜日に,その週のねぎらいとして
とってもおいしいケーキを買ってきてくれる。
これがまたひとつとして同じ味のものがない。
リキュールの香りが違ったり,食感が違ったり,もちろん見た目も味も
まったく違うものばかり。
このケーキを前にしては,ひとくちひとくちがもったいないかぎりで,
できるだけ長く味の余韻にひたりたい,その一心になる。
コーヒーを飲むペースもゆっくりになる。
あぁ至高の時間!

また今日の,コンビニでの買い食いで,おいしいケーキが遠のいたのだった。
(相方は,わたしが甘いものをがまんしていると,ケーキを買ってきてくれることに
なっている!)

と,つまらないこと
(しかし!これがわたしの日常)
を書いてしまって,せっかくhanaさんに教えていただいた高倉健さんの本の
事を書く余裕がなくなってしまった。
この話はまた明日にでも。
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by KATEK | 2005-08-26 18:49