日常って、微妙な差異こそ大事かなと思います。


by KATEK
カレンダー

2005年 12月 24日 ( 1 )

傍にいること・遠藤周作

今日はクリスマスイブ。
ということで,ちょっと気になっているキリスト教のことを
徒然なるままに・・・

遠藤周作の作品に『沈黙』・『死海のほとり』というのがある。
『沈黙』は「ころぶこと」つまり転向・踏み絵を踏むことについての,
『死海のほとり』は愛この場合は,アガペーについての,
彼なりの考え方を表現したものだ。

『死海のほとり』という作品は,私の尊敬しているある人から
紹介されて初めて読んだものだった。

キリストの愛は,奇跡をおこすことではないのではないか。
イエスという男は,無力であるがゆえにできる最大のこと
<病む人や打ちひしがれている人・差別されている人の傍に
居続けること>をすることこそ自分に課した人だった・・・
というように遠藤周作は考えていたと,わたしは理解している。

自己犠牲にはつながらない,弱い人間だからこそできることが
いつでも傍にいることだという発想は,わたしにとっては救いになった。

そしてわたしは多くの人から愛を受けていると思えるように
なってきた。
それは幸せなことだ。

けれど,山形皓生さん(名前が違ったらお許しください)のブログに
遠藤周作はわかっていないというようなことが書かれていた。
(これもわたしの読み違いだったらお許しください。今どうやって
その文章にたどり着いたのかすぐにはわからないので・・・
本当は確かめるべきなのですが。)
キリスト教の本質とは何か語らずに,単にフィクションとしてイエスが
描かれているだけだというようなコメントだった。

キリスト教の本質って何だろう?
神学にうといわたしにはわからない。

でもあの『死海のほとり』で,生きていくための強さを与えてもらった
のは確かなことなのだ。

わたしは八百万の神のようなもの,山岳信仰とかアニミズムとか
そういったものの方に,霊性を感じている。
だから教義のあるものはよくわからない。

でもそれでも<傍にいる>ことについて,わたしは深く心動かされる。

そんなことを思いつつ今日は,ケーキを食べるぞ。


補筆(追加)です。
山形さんのこと調べてみましたがでてきません。
どこにいっちゃったんだろう。
でもほかのある人のブログにも,神学界のなかでは
遠藤周作の作品は禁書扱いにもなるような間違いを書いている,
とかかれていました。
奇跡に関することらしいのですが・・・
やっぱり神学はよくわかりません。
[PR]
by KATEK | 2005-12-24 12:45