記憶のレッスン
2005年 08月 19日
坪井秀人『戦争の記憶をさかのぼる』ちくま新書より
まだ読みはじめなのだが,最初からはっとさせられる文章があった。
人間は忘れることで生きていける動物なのだと。
だから戦争の記憶にしてもなんの記憶にしても,記憶するという
ことは自然な営みではないと。
いじめられたことにしてもそうだろう。
わたし自身が今までの生活・仕事の中で負った傷を忘れるのに
10年以上の月日を要したというのは,我ながら尋常ではない。
そしてもっとひどい傷なら,
忘れずには生きていけないことの方がおおいのではないだろうか。
坪井さんはこういう。
>記憶に向き合うことは学びの姿勢を必要とする。記憶のレッスン。
・・・
>戦争の記憶を語り継ぎ議論することもまた,教条的な悲壮なもので
>あるべきではない。忘れられない,忘れてはならないと思う者が
>他者にその言葉やその他のものを伝えることだけでなく
>無理のない姿勢でそれを受け取る,そのバトンの取り方を学ぶこと
・・・
>わたしたちの足腰を鍛えるはずだ。
1995年を境にして戦争の記憶の仕方が変わってきたという
この本に,今日はとりかかる。
まだ読みはじめなのだが,最初からはっとさせられる文章があった。
人間は忘れることで生きていける動物なのだと。
だから戦争の記憶にしてもなんの記憶にしても,記憶するという
ことは自然な営みではないと。
いじめられたことにしてもそうだろう。
わたし自身が今までの生活・仕事の中で負った傷を忘れるのに
10年以上の月日を要したというのは,我ながら尋常ではない。
そしてもっとひどい傷なら,
忘れずには生きていけないことの方がおおいのではないだろうか。
坪井さんはこういう。
>記憶に向き合うことは学びの姿勢を必要とする。記憶のレッスン。
・・・
>戦争の記憶を語り継ぎ議論することもまた,教条的な悲壮なもので
>あるべきではない。忘れられない,忘れてはならないと思う者が
>他者にその言葉やその他のものを伝えることだけでなく
>無理のない姿勢でそれを受け取る,そのバトンの取り方を学ぶこと
・・・
>わたしたちの足腰を鍛えるはずだ。
1995年を境にして戦争の記憶の仕方が変わってきたという
この本に,今日はとりかかる。
by KATEK
| 2005-08-19 05:54