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日常って、微妙な差異こそ大事かなと思います。


by KATEK
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朔太郎のことから・・・

風邪なのでお風呂は我慢してはいらず。
顔だけ石鹸で洗ったら,なんとさっぱりしたことか。
さっぱりとはこのことかと,つまらないことに感動。

ちくま日本文学全集の『萩原朔太郎』をぱらぱらと読む。

『月に吠える』の序文を読んで,
高校生のとき,なぜここを読ませてくれなかったのかと,いまどきになって
思う次第。

>詩とは感情の神経を摑んだものである。生きて働く心理学である。

>すべてのよい抒情詩には,理屈や言葉で説明することの出来ない一種の
>美感が伴う。これを詩のにおいという。(人によっては気韻とか気稟とか
>いう)においは詩の主眼とする陶酔的気分の要素である。したがってこの
>においの希薄な詩は韻文としての価値のすくないものであって,
>言わば香味を欠いた酒のようなものである。こういう酒を私は好まない。
>詩の表現は素朴なれ,詩のにおいは芳醇でありたい。

高校生のとき,授業で読んだ詩は,「悲しい月夜」だった。

      悲しい月夜

 ぬすつと犬めが,
 くさった波止場の月に吠えてゐる。
 たましひが耳をすますと,
 陰気くさい声をだして
 黄いろい娘たちが合唱してゐる,
 合唱してゐる,
 波止場のくらい石垣で。

 いつも,
 なぜおれはこれなんだ
 犬よ,
 青白いふしあはせの犬よ。

朔太郎は,竹のことを何篇か詩にしている。
「竹が生え」ということばをくりかえす詩は有名だ。
竹だけではなく,地下の世界にも親近感を寄せているらしい。

大正時代のまっただなかに中に生きた詩人。
華やいだ世間の中で,ひとり違う世界を感じていたのだろう。
ただ一人であっても,一人ではない。
この時代に朔太郎が共感する人たちはいただろうから。

ただ,今この時間の私は,あんまり朔太郎の詩の感じには,なじまない。

むしろ,地下の中で,動物や植物が自分の生きる場をわけあい
共に生きているという「うれしさ」や「たのもしさ」を感じたい。
地下には竹の地下茎のほか,桜や欅や楠やたんぽぽやぺんぺん草や
いろんな植物の根っこが,ところせましとのびているはず。
でもけんかはしない。
どんな「考え」で土をわけあっているのだろう。
声があるなら聞いてみたい。
by KATEK | 2006-04-16 10:00