繰り返される画像
2006年 02月 13日
前の勤務先での無意味な闘い。
10年間いたその勤務先では,生徒も教員も男が中心だった。
わたしからいわせれば,暴力の文化で成り立っていたところ。
(今はだいぶ変わっているようだけれど)
言葉での説得は,あまり効果をださず
というよりむしろ嫌がられ,敬遠されていた。
威圧的な言葉,怒鳴り声,罵倒,一方的なうむをいわせない
説教・・・そんなものが日常的に行われていた。
だから威圧的ではない話は,ききながされた。
わたしはことばを失った。
そして,生徒には無気力な対応をする場面も増え
同僚にはかえって,理屈で責めたてることがふえていった。
わたしはいつしか「フェニミズムと人権」にこりかたまっていた。
そして独り相撲は破れ,わたしが壊れていった。
いまでもあのときのひとこまひとこまは,目の前から
離れない。
どうしたあんなにかたくなに闘ってしまったのだろう。
戦略もなしに。
疲れ果てた結果は,自分と生徒にむかった。
もちろん生徒には,あの時精一杯むかっているつもりだった。
でもちがう。
生徒も敵だった。
静かにさせること,言うことを聞かせることが先にたった。
中途半端な人権教育。
前に書いていたブログにも,このことは書いたかもしれない。
いまも,このたち現れる昔に,責められる。
10年間いたその勤務先では,生徒も教員も男が中心だった。
わたしからいわせれば,暴力の文化で成り立っていたところ。
(今はだいぶ変わっているようだけれど)
言葉での説得は,あまり効果をださず
というよりむしろ嫌がられ,敬遠されていた。
威圧的な言葉,怒鳴り声,罵倒,一方的なうむをいわせない
説教・・・そんなものが日常的に行われていた。
だから威圧的ではない話は,ききながされた。
わたしはことばを失った。
そして,生徒には無気力な対応をする場面も増え
同僚にはかえって,理屈で責めたてることがふえていった。
わたしはいつしか「フェニミズムと人権」にこりかたまっていた。
そして独り相撲は破れ,わたしが壊れていった。
いまでもあのときのひとこまひとこまは,目の前から
離れない。
どうしたあんなにかたくなに闘ってしまったのだろう。
戦略もなしに。
疲れ果てた結果は,自分と生徒にむかった。
もちろん生徒には,あの時精一杯むかっているつもりだった。
でもちがう。
生徒も敵だった。
静かにさせること,言うことを聞かせることが先にたった。
中途半端な人権教育。
前に書いていたブログにも,このことは書いたかもしれない。
いまも,このたち現れる昔に,責められる。
by KATEK
| 2006-02-13 04:15