日常って、微妙な差異こそ大事かなと思います。


by KATEK
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トンカツ屋のおやじになりたい。

読まずに積んであった本を偶然手に取った。
一気読み。

前田英樹『倫理という力』(講談社現代新書)

前田という人のことは良く知らないし、本全体を読んだ感じは
全面納得ではないのだが、急に具体的な話になると
おお!って共感してしまう。

一番共感したのはここ。

「どうして人は殺人をしてはならないの?」
「どうして自殺してはいけないの?」
という中学生の質問に理屈で答えるのは無理だという。

>怖いとんかつ屋のおやじには、はっきりした問題があり、
>日々更新されていく回答がある。このおやじの前で馬鹿な
>質問をする子供は、ほんとうにはいないだろう。

>美味しいトンカツを安く食わせるという回答は、社会のなかで
>だけ成り立つ。だからトンカツ屋のおやじは世間を尊重し、
>それと戦うのである。

>おやじが、この人たちに教えていることは、職業上の明確な
>技術であって、学校で教えるあの「教科」というものではない。

>実際にやってみせるのである。やってみせられることに、
>彼らはたちまちグーの音も出ず、説得されてしまう。

>躾は、感化と一体になった時、社会の圧力を必要としなくなる。

>感化から生まれる約束は、社会や共同体の成立に対する
>義務とは、まったく別のところで交わされる。

>はっきりしているのは、こうした技術はそれを継承したい人間を
>作り出す、ということである。

>躾と感化とは、子供が教育される時の切り離せない二つの
>側面になる。

>この技術教育がほんとうの素質を育て上げるには、感化が要る。
>模倣を掻き立てる一人の人物が要るのである。

>彼は意図せずして、他人に感化を与える。意図して為される
>教育は、意図せずして引き起こされる感化なしには、
>決して実を結ばない。

>子供を今最も直裁に動かすものは、この<流行>という、世界的資本が
>作り出す欲望の化け物である。

>社会の圧力がこれほど低下している時に、それは可能だろうか。
>不可能なら、私たちの社会は化け物じみた欲望の自動機械に
>なっていくしかない。

>先生が言うのは、脅しとしては効くが、躾ではない。世の中には、
>こういう脅しが無数にある。

>躾を可能にさせる社会の圧力が、親からも教師からも感じられ
>なくなったとすれば、子供が躾を受け入れるのは、感化を通してだけ、
>ということになるだろう。感化と一体になった躾なら、今でも成功
>する見込みがある。

>社会の圧力に替わるこの技倆は、躾を支えると同時に感化を与える。

>偉そうな理屈は何ひとつ言わず、目立たぬところに黙って存在している。


引用の順番が適切ではないので、わかりにくかったかもしれない。

脅しではなく、感化を与えられるような「もの」を通した教育ができないか、
と私も感じている。
トンカツ屋のおやじのようになりたい。
そのときわたしにとっての技術や技倆とはなんなのだろう???
目立たないところに、決してうまい授業とは言えないけれど、でも
感化を与えられる教育ってあるのだろうか?

学校教育に限界を感じてはいるが、教育自体のことはこれからも
考えていきたいと思う。
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by KATEk | 2011-12-09 22:30